はじめてのインド【準備編】
ある日、押入れの片付けをしていて、古ーいSAVVYが出てきた。
パラっと見てみると、最後に南国リゾートの記事。
ビーチ、ヤシの実、トロピカルなカクテルだけだったら、私はきっと、そのままそのSAVVYを捨てていた。
だけど白い砂浜を歩く女性が、色とりどりのサリーを着ているのに目を奪われた。
え、インド?
うわー、ここに行こう!!
私は一応陸マイラーで、常にマイレージの期限に追われていて、どこに行くかを次々と決めなくちゃいけない。
まだ行ったことないところはいっぱいあるけど、年休が取れる日数と飛行距離のバランスが難しく、行けるところは限られてる。
けどインドならそんなに遠くないし、ここに決定〜
けどその後、「インドに行く」「ひとりで」と言うと、皆の反応がオカシイことに気がついた。
要するに「危ない」ということなんだけど、いきなり「レイプされるで」と言う人もいた。
え、私SAVVYで見て行こうと思ったんやで? SAVVYはオシャレなランチとかカフェとかがたくさん載ってる、ちゃんとしたOLさん(?)向けの雑誌やし。そんな恐ろしいところのはずがないやん……
けどみんなの反応があんまりなので、インドに行くことをむやみに人に話さないようになった。こうやって人は孤独になり、情報難民になって、ますます危険な方向に追い詰められていくんやね。
私はこれまで海外で、スリ未遂には何度か遭ったことがあるので、何に気をつけたらよいかだいたいわかってるつもり。
でも幸いレイプには遭ったことがないから、何に気をつけたらよいのかわからない。
そこで検索した。目を疑うような記事が出てくる出てくる。これは辛い。
だけど同時に、ひとりでインド旅行してる女性の旅行記だってたくさん見つけた。
その人が無事だったからと言って、自分も無事とは限らないけど。
この人は海外に慣れていてスキが無く、言語にも堪能で、もしかしたら現地にネットワークを持っているのかもしれないし。
結局、2019年2月に、私は無事に初めてのインド旅行を終え、また行きたいところのひとつになったけど、いまも
「インドに行ってみたいけど、周囲の人に危ないと言われる」
と(主に女性が)言っているのをウェブ上でしょっちゅう見る。
「行きたいけど不安」じゃなく、「行きたいけど周囲に不安を煽られる」であるところが納得いかない。有効なアドバイスをするでもなく、はっきり反対するでもなく、ただ悪い事例ばかりならべて恐怖を煽るだけという一番タチが悪いやつ。
そこで、自分の不安が消えていく過程を紹介すべく、書いてみました。
持ち物
- 肌を露出せず、かつ身体のライン(特に脚)が出ない服装
- もう何年も使ってなかった腹巻的な貴重品入れ
- 懐中電灯
- 防犯ベル
- 南京錠とワイヤー、ストラップ類
衣服ではずいぶん迷って、現地で目立たない服装ってどんな感じなんやろ?と、旅行中の皆さんの服装をインスタで観察。
防犯ベルって、咄嗟に使えるかっていう疑問もあるし、そもそも役に立つんかな?ベルが鳴って、果たして誰かが助けに来てくれるのか?
南京錠とワイヤーは、これまで海外のホテルで、ドアチェーンが無いところが結構あったのと、インドのホテルで夜中に外からドアをガチャガチャされたという話をウェブ上でいくつか見たから。
なんか、不安を煽るタイプの人の何人かが、「でも中国に行けるんだから、インドも大丈夫なんじゃないの?」と言ったことが謎理論だった。
中国っていったいどんなイメージ?
少なくとも私は中国に行くとき、ここまでの装備はしたことない。
しかし宿泊が
今回、現地2泊の弾丸なので、ずっとフォートコーチンに滞在するつもりで、booking.comで素敵なホテルを予約。
一番広い、ガーデンビューの部屋。
ところが、数日後ホテルからメールが来て、
「デポジットとして宿泊料の50%を下記の口座に振り込んでください。さもないと予約はキャンセルされます」
なんと、いまの時代に銀行振り込み?
海外の銀行口座に振り込みってどうやんの?
調べてみたら、手数料が1泊の料金と大差ない……
というか、booking.comの予約ページを見ても、「この予約はクレジットカードにより保証されています」と書かれている。
そう、デポジットをなぜこのカードから落とさない!?
そうこうしているうちに、今度はbooking.comから、他に予備で予約していたホテルについて「営業を止めてしまったので、別のホテルに予約を振り替えましたので、必ずご確認の上、なんとかかんとか……(やたら長い)」みたいなメールがきて、いやいや、いま私が困ってるのはそこじゃないんだ。同時にインドのホテルに対する不信感が増す。
本命のホテルから再度デポジットの催促メールが来た時点で、もう鬱陶しくなって、すべての予約をキャンセルしてしまった。
日本人の口コミもいくつかあったけど、みなさんこのデポジットを払ったんでしょうか? どうやって?
ここで私はbooking.comとは完全に手を切ることにしました。
前回の厦門でもヒドイ目にあったし、とにかく予約サイトを経由する利点がわからない。
再度の宿選び。この時点で渡航の約1ヶ月前。トホホ。
しかし結果的にはこれが吉と転じて、airbnbにて、どうしてもここに泊まりたい!と思う宿を発見。
ホスト本人と一対一でやり取りしているうちに、いつの間にか自分がすでにインドと繋がっていることに気づいて、未知の国ではなくなっていました。
交通
最初の難関・空港から宿までの交通は、ホストからのアドバイスにより、公共バス→オートリクシャーで解決。
でもタクシーに乗る可能性も。
というのも、事前にいくら検索しても、「コチ空港←→フォートコーチン」以外の路線の情報が得られなかったのと、出発直前にインスタにて、いままさにコチを旅行されている方の「ストにより空港発着のバスが来ない」との投稿を見たから。*1
けどタクシーは怖い。タクシーでいろんな事件が起きている。
そこで、あらゆるインド関連ブログにておすすめされている、Uberのアカウントを作っておくことに。
結果、これは私からも強くおすすめします。
ビザ
事前にビザを取っておかなくても、主要空港より入国時にアライバルビザが取れるらしい。
私はムンバイで国内線に乗り換えるから、このとき取れる? ていうか私はどこで入国すんの? これまでの経験上、普通ならムンバイのはず?
わからないので素直にオンラインでEビザを取っておくことに。
入力項目が多い! 両親に関することとか。
ここでも入国地を記入する欄があって、けどまあこれは予定なのでムンバイってことでいいや。
顔写真の画像をアップロードするとき、同時にトリミングする機能があって、なんか感心した。
数年前に、ミャンマーのEビザをオンラインで取ったときには、cmのサイズ指定だけで、勝手にリサイズされたりして結構面倒だったので、これが近年急激に始まった国とIT大国の違いなのかなぁと。
結果としては、入国はコチ空港にて。Eビザが有効かどうかも、入国地によるので要注意。
心構え
で、危ないって、結局何が危ないわけ?
インド旅行ブログでよく見るのは、タクシーなどで拉致同然に目的地とは違う場所に連れて行かれ、高いツアーなどを契約させられる類のやつ。
でもケララ州ではそういうのは少ないみたい。
他には、しつこい物売り・物乞い。
こういうのはいろんな国に様々なタイプがいるので、インドが特にどうってわけじゃないんじゃないの? でもインドはレベルが違うってことなの?
そして、一番不安な問題。
ある日、こんなニュースを目にした。
なるほど、ケララはやはり先進的なのね。
ところが数日後、こんなことに発展。
ひとり旅の女性が犯罪被害に遭うとき、「本人にも問題があったのでは?」などと言うことは、事態をさらに悪化させている。
だけど、自分が行こうとしているところが、そもそもどんな土地なのかを承知しておく必要はある。ここで「それはおかしい」なんて抗議しても通じないのも事実。
女がひとりで異国を歩き回ることが、非常識な、道に外れた行為とされている土地では、先にルールを破ったのは私の方。かと言って、何をされても文句は言えない、というのもおかしな話だけど、加害者の言い分はそういうこと。
珍しい景色を見るのと同時に、こんな理不尽さに触れることも、その中で自分の常識をきちんと守ることもまた、旅行ってことなのかも。
ちょっとソウルへ(ふたり旅)
ちょっとお買い物に、日帰りか1泊でソウルに行きたいな〜とつねづね思ってました。
同僚も一緒に行くことになり、1泊だと慌ただしいよね…とか言ってるうちに2泊3日に。週末+有給1日です。
というわけで、なんと14年ぶりのソウルへ行ってきました。
飛行機
今回はピーチ で。
関空ーソウルはなんと1日31便ありますが、その第1便がピーチ 。
仁川に9:30着なので、初日から有効に使えます。
さらに機内で空港鉄道AREXの割引き切符も買える。
けどやっぱり仁川は遠いし、そもそも空港が広く利用客も多いので、グズグズしているうちにソウル市内の目的地に着くのは結局お昼になってしまう。
帰りの移動も合わせて考えたら、金浦発着の便も検討する価値あるかも。ていうか次は金浦にしたいかも。
宿泊
宿はAirbnbで。
1泊目は景福宮近くのオシャレ韓屋。
英語ペラペラのお母さんが世話を焼いてくれて、部屋も素敵だったけど、やっぱりちょっと狭かったかな〜。
2泊目は江南のモダンなマンション。
近年はAirbnbを利用することが多いですが、ホストと一切顔を合わすことなく(ホストはタイ在住)、すべてチャットとパスコードで完了するスタイルを初体験。
チェックイン時間前に、荷物だけ預かってもらえないか相談すると、
「キー無しで入れるエレベーターホールに置いて、一報くれたら、メイドが部屋に入れておきます」
とのこと。
メイドさんが部屋の防犯カメラから、私たちが立ち去るのをうかがっている様子がめちゃおかしかった。とことん非接触。
チェックアウト後にゴミの分別に関するメッセージが来て、「え…部屋のゴミ箱そのままで、もうチェックアウトしちゃいました」と焦ったけど、高評価付けてくれてました。
海外の一般的なマンション生活を体験するのも面白いもんです。
お肌がきれい
ソウルに着いてまず感じたのは、みんなお肌がきれい!
白くて艶やかな肌のことをよく「むき玉子みたい」と形容しますが、それどころか水信玄餅みたい。
そりゃ韓国コスメ人気あるはず。
けどコスメなど外的要因だけであれほどまで綺麗になるもんでしょうか。
気候、食生活、そして生まれ持った遺伝子がすべてなんじゃあ…
そんな私が今回買ったのはドミナクリーム。
ハイドロキノン4%配合の美白・シミ取りクリーム。
色んな方のブログで見る限り、おそらく最安値のチョンノ5ガ 薬局通りボリョン薬局で₩38000。
さて効果のほどは…?
あと、日本のナウなヤングに人気らしい、3CEのポーチを購入。
東大門でお買い物
今回の渡韓の目的のひとつが東大門ショッピング。
韓国モード系セレクトショップで、東大門で仕入れていると聞いたから。
やっぱり昔も今も東大門なんや…
生地市場
春夏用の単衣着物を作るつもりで、まずは綿レースの生地を探しに行く。
東大門市場で生地を買った方のブログもたくさんあって、みなさん詳しく書かれていますが、私が一番わかりやすかったのはここかな。
気をつけるポイントは
- スワッチを見て注文後、倉庫から届くまでそこそこ時間がかかる
- 単位は生地幅→インチ、用尺→ヤードなので、事前に計算しておくとスムーズ
- スワッチに混率が記載されていない店も多いので、素材名の韓国語を調べておくと便利*1
- 公式には土曜日の午前は営業となっているけど、平日に比べて開いている店はかなり少なめ
待ち時間についても、色々なブログに書かれています。
私の場合は、金曜日の15:30頃に注文して、「30分待って」と言われたけど、その後の予定がつまっていたので、翌日の朝取りに来る旨を伝えて、10:00頃に受け取りました。
しかし思わぬオチがあって、
最初このスワッチを見て気にいって、同じ柄で綿か麻があるとのことだったので、麻を注文。
現物を受け取って見てみると、なんとタテ柄でした。
おーい、地の目は重要やで!
でもこのお店は、綿や麻の凝ったレース生地が豊富でおすすめです。
夜の部
言わずと知れたナイトショッピング。
色々まわるのは体力的に無理なので、apM PLACEに集中することに。ちょうどセール中でめちゃめちゃ賑わっていました。
小売不可・セール時は小売可など諸説ありますが、値段表示もあったりなかったり、店内も自由に見られるところや「ここはサンプルなのでダメ」と言われたところなど、正直よくわかりませんでした。
結論としては、東大門は広すぎ・多すぎで、あの中をあちこち見てまわるくらいなら、弘大やカロスキル、または日本のセレクトショップで、プロのバイヤーの目で選ばれたものの中から、自分好みのものを探すほうがきっとお得…。
スパ
韓屋のバスルームが狭かったので、一日の終わりはスパで。ガイドブックにも載ってる東大門の有名店。
システムは日本のスーパー銭湯と同じ。
よもぎ蒸しも初体験。
不思議な感じでしたが、ともかく下半身を温めるのは良いんだろうな…と。
それより、あの袋をかぶってる間、アジュンマがジュースやゆで卵(アジュンマの私物?)を「はい、アーン」なんて、やたら世話を焼いてきたことが韓国ぽい…て思いました。
タクシー
韓国のタクシーは、昔から良い印象しかありません。
運転手さんがみんなやけにいい人で、日本人が珍しかった時代には、いろんな人情エピソードがあったり、「お金はいいよ」と料金を受け取ってくれないことも頻繁にありました。
今回のタクシーでの出来事は…
英語がわからなくてごめんよ
お店など行き先の住所を見せると、さっとナビに入力してくれるので、どこへでも行けます。
けど注意が必要なのは、Google mapなどアルファベット表記になってるやつ。
↑これを見せたところ、厄介なことに。おっちゃんは色々試してくれたけど、ハングルじゃないとナビに入れられない。*2
慌てて再検索して、ハングル表記になってるところを見つけて、やっと出発できることに。
けどまあ私だって、いきなりアルファベット表記の日本の住所を見せられて、そこに行けるかっていうと…
だけど走行中、運転手さんはずっと「英語がわからなくてミアネヨ〜」っておっしゃってて、こちらこそとっても申し訳なかったです。
Uber大活躍
以前、インドに行った際に、Uberが大変便利でした。
でも韓国では、(日本と同じく)ハイヤーを呼ぶことになり、割高で利用価値なし、と個人の方の旅行ブログで見たので、そっか〜くらいに思ってました。
実際、街のあちこちにタクシー乗り場があるし、流しのタクシーも簡単につかまえられるし、Uberの存在自体、忘れてました。
しかし東大門の夜。
ナイトマーケットからのスパで、帰途についたのは深夜2時頃。
地下鉄は終わっていて、路上で客待ちしていたタクシーに行き先を告げると「₩30000」と言うので、メーターは?と言うと「こんな時間に、近すぎるので、メーターで行く運転手などいない」だって。
困った。
でも、こんなときにUberだ!と閃きました。
ハイヤー(支払いはクレカのみ)だけでなく、一般タクシー(現金のみ)も呼べます。
到着済みなのに見つけられなくて焦ってたらコールがあって、「どこ!?」「◯◯の前にいます」「なんだ反対側か!よし、そこでキダリセヨ〜」と言った途端、すんごい勢いでバック&Uターンしてるのが表示されて、めちゃ可笑しかった。
もちろん行き先も伝達済みなので、超スムーズ。
というわけで、韓国によく行く人はすでにカカオタクシーとか使ってるかもしれないけど、多くの国で汎用的に使えるUberは韓国でも有用です。
というか、いまの時代もまだ、あんなぼったくりタクシーって健在なんや…
机の脚が折れるほど
2日半で食べたのは以下。
いずれも有名店で、いまさらグルメレポートは必要ないと思うので、自分が事前に知りたかった混み具合などの情報を書いてみます。
◾️開城マンドゥ「宮」
金曜日 13:00頃訪問
混んでいたけど空席はあり。地元客と観光客で半々。
◾️2Dカフェ「cafe 延南洞 239-20」
金曜日16:00頃訪問
混んでいたけど空席はあり。地元客と観光客で半々。
◾️韓定食「青受亭」
金曜日 20:20頃訪問
客は1組のみ。私たちの滞在中もう1組来店。いずれも地元客。
ここは予約が必要かもと、数日前に日本から国際電話をかけたけれど、「◯◯は1番」みたいな音声案内が流れ、まったく聞き取れなかったので(笑)断念した経緯があります。
◾️パッピンス「小赤豆」
金曜日21:15頃訪問
混んでいたけど空席はあり。ほぼ地元客。
土曜日12:30頃訪問
混んでいたけど空席はあり。
◾️韓式カフェ「金氏夫人」
土曜日15:00頃訪問
ほぼ満席。地元客。
◾️焼肉「大峙精肉食堂」
土曜日20:00頃訪問
客は1組のみ。地元客。
日本でもよくあるような、絵に描いたような「焼肉店」ですが、特筆すべきは、今日の日本では食べられないユッケがあること。
美味しいのはもちろん、視覚的なインパクトも大。
◾️さつまいもアイス「招福 仁川空港店」
日曜日14:30頃訪問
コグマアイスはsold out
第3次韓流
私の韓国との出会いは、1997年の中国留学時、寮の二人部屋で韓国人とルームメイトになったこと。
その翌年に初めて韓国に行ったときに、人気デュオ Panic と、人気インディーバンドCrying Nut のCDを購入。
これがきっかけで韓国にどハマりしました。
その後、2000年にイ・ジョク(当時GIGS)の入隊コンサートに行ったことでなんとなく気が済んで(?)、それ以来、韓国からは遠ざかっていました。
いま思えばこれが第0次韓流。
当時から、日本のタワレコやHMVなどにも韓国歌謡、ロックのCDは豊富にあって、一定のファンはいました。*3
2005年にCrying Nut 除隊コンサートのため5年ぶりに渡韓。
時はまさに第1次韓流。
街には日本人と日本語が溢れ、私が知っていたソウルとは様子がまったく違っていました。
このとき一番驚いたのは、テレビで安達祐実の「家なき子」を日本語のまま放送してしていたことです*4
2002年の日韓W杯以前は、日本語コンテンツに関する規制はかなり厳格で、中国時代の友人への手土産にJ-POPのCDを持って行ったりしていました。*5
今回ソウルから帰ってきたとき、意外にも何人もの人から「大丈夫だった?」と聞かれました。
日本製品不買運動の様子を、テレビのニュースで盛んに放送していたそうです。
だけど、かつて日本語が禁止され、なにかというと日章旗を焼き、日本人女性が旅行するのが珍しかった時代に、行く先々で市井の人に暖かく迎えてもらった経験に比べると、不買運動なんて、新鮮さがまったく感じられませんでした。
そんなことよりいまは第3次韓流で、ピーチ機内も若い女性で満席。
私も彼女たちのインスタを大いに参考にさせてもらいました。
ちなみにcrying nut もイ・ジョクも、現在では1〜2年に1度のペースで日本公演を行なっています。
海外で着物を着る
いつか海外で着物を着たいな、と思っていました。
Instagramでも #着物で海外 #海外で着物 というハッシュタグがあって、和装のみなさんが世界中を行脚しているのが素敵。
ただ、「着物で海外」と「海外で着物」には大きな違いがあって、前者はなかなかハードルが高いかも。
なんだかんだ言って、やはり着物はしんどいです。
まず飛行機に長時間乗るのは、私にはきっと無理。
あと万一のとき、安全面でどうなの?っていうのもあります。*1
旅行だったら、現地で歩き回るのもしんどいし。着物が、っていうより履物が大変。
かといって、ある特別な一日のために、着物一式を持って行くのも、数日の旅行だとなかなか難しい。
しかしついに、「海外で着物」のチャンスが到来しました。
その顛末を書いてみます。*2
着物でスカラ座
2018年10月、イタリアに3週間滞在する機会があり、ミラノのスカラ座にオペラかバレエを観に行くことに。
それまでにも2回、イタリアでオペラを見たことがありました。
1回目はスカラ座の桟敷席だったため普段着で。
2回目はベネツィアのフェニーチェ劇場のまあ普通の席で、暑かったこともあり適当なワンピースで行きましたが、やはりみなさんドレスアップされてました。
今回は奮発してスカラ座のボックス席を取ったので、これはまさしく着物にうってつけ!
ちなみに、チケットは事前に日本からスカラ座公式ウェブサイトにて取りましたが、
こんな風に選択した席からのビューを確認しながら購入できてめちゃ便利。
この席に着物姿の自分が座るって、ブラビッシーモ!
荷作り
着物と洋服の一番の違いは、平面か立体かです。
着物は洋服よりもはるかに多くの生地を使うし、着付けるための備品も多いけど、すべて平らに畳めるので、スーツケースには収まりやすい。
アパレル界の構造の問題点を描いた映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』上映会後のディスカッションにて、会場が京都市内だったこともあってか、「着物こそサスティナブルな衣服*3」という意見が出たのですが、「いつどこで着たらいいかわからない」みたいな質問に対して、「まずは旅行に着て行くのがオススメ。目立つし、やたら人が話しかけてきて友達ができるし、何より荷物が少なくなる」って言ってました。
実際にパッキングに活躍したのがこれ。
携帯用たとう紙
畳んだ状態で固定できて、スーツケースの中でグチャグチャになることもなし。ジャケット1着よりずっとコンパクトです。
念のため、着物を着ない方のために言うと、着物は畳み方が決まっていて、その折り目が付いた状態で着用します。
唯一、立体になっている衿も。
これが洋服とは根本的に違うところで、とにかく持ち運びや収納に適しています。
ただ問題は、履物。
草履はやっぱり容量が大きいです。靴よりもずっと*4
持って行けないことはなかったけど、3週間の内のたった数時間のためにあの箱を…とか、そもそも草履でミラノの石畳を歩けるんだろうか…とか。
個人的には、着物に洋服のアイテムをコーディネイトするのはあまり好きではないのですが、ここは着回しの効くパンプスで。
着付け
もちろん自分で着付けができることが前提。もしくは着付けてくれる人と一緒に行くか。
私はいつもyoutubeを参考に完全自己流で着ているのですが、一番難しかったのは、ホテルの部屋の全身鏡と、着付け用具を置けるテーブルがやけに離れていたのと、位置関係が自宅と左右逆だったこと。
でも普段着ない人でも、二部式とか、カシュクールワンピースみたいな作りになってるやつとか、作り帯なんかもあるので、とにかく海外で着物アイコンを体現することが目的なら、なんとでもなるかも。
正直、左右合わせを間違ってるとか、着崩れ過ぎて脱げちゃうとかでさえなければ、多少変になっていても、外国の人にはわからないし…
海外で着物警察に見つかる確率はかなり低いのできっと大丈夫!
着物への反応
日本で着物を着ていても、あまり人の視線を感じることはありません。海外の方からも。豪華な振袖なんかを着て歩いたら、また違うのかもしれないけど。
海外でも、自国民も民族衣装を着ている国なら溶け込みそうだし、モードにこだわりのある国なら良い意味で目立ちそう。
ではミラノでは?
私のイタリアへの印象は、とにかく保守的。
そしてイタリアンファッションはレディースよりもメンズだなあという気がしています。
イタリアはやっぱり技巧の国。
さらに感じるのは、イタリアで日常、エスニックなものを目にすることがあまりありません。
沿岸部や南部で、多少のイスラム風なものを感じることがあるようなないような…
そんな中で着物って、どんな感じになるのかな?
そして日本人アピールをしながら歩くって?*5
夕刻、チェントラーレ近くのホテルからメトロポリターナでスカラ座へ。
ドゥオモを通る路線なので、観光客で混んでいて、正直、悪目立ちしている感があって、ショールで隠して小さくなる感じで乗ってました。
「あ、よそ者だ」的な視線。
ミラノに普通に暮らしてるアジア人はたくさんいると思うけど、民族衣装着てるとよそ者感が増しますね。
地上に上がると残念ながら雨。
雨のなか歩いてスカラ座に到着。
前回は天井桟敷だったので、横の通用口みたいなところから入ったのですが、今回はもちろん正面入り口から。
ロビーはガチのイブニングドレスやタキシード姿の方から、割と軽めの服装の方まで様々でした。
私の装いはと言うと、アンティークのマジョリカお召しを対丈で。
装飾的な半幅帯をカラテア結び。
ビビットカラーのバレーシューズ。
着物警察に見つかったら眉をひそめられそうだけど、イタリア人にはゴージャスに見えたみたい。
何人かの人が、「ステキね」と話しかけてくれて、メトロポリターナで「民族衣装」だったものが、スカラ座に一歩足を踏み入れた途端「キモノ」になったことを感じました。
ひとりのおじさんからは写真を撮らせてほしいと言われ、正面と、「後ろも」と帯を撮ってました。
でもよく考えると画像はマズイですね…
もし着物に詳しい人の目に触れて、「これは…オカシイわね」なんて言われたりしたら…
一番嬉しかったのは、綺麗なスーツを着た年配のシニョーラが、にっこり笑って「ジャポネーゼ?」と話しかけてこられたこと。
一般的にイタリア人は陽気でフレンドリー、みたいなイメージがあるけど、私はあまりそうとは思いません。
なるほど男性はサービス精神旺盛で、気軽に話しかけてくるけど、女性それも年配の方が、見知らぬ外国人に自分から話しかけてくるってことは、あまり経験がない。せいぜい、ふと目が合ったときに微笑みかけてくれるくらい。
イタリア人はやっぱり保守的で、「女性(娘、妻、毋)のあり方」とか、「女性は一歩下がるべき」といったものがはっきりとあるような気がする。
それでも私の着物に反応して、声をかけてくれた。これが着物の力なんだと思いました。
これがあなたの国の衣装なのね
席に案内され、個室に入る。一番乗りでした。
後から若いカップルが入ってきて、シニョリーナが私を見て開口一番
「素敵!これがあなたの国の衣装なのね!」
彼女自身、バレエをやっているそうで、
「いつもは天井桟敷で見ているけど、今日は時別な日なので、ここに来たのよ!
彼は不満みたいだけど!」
結局カップルと私の3人で、私はお邪魔なのかも…と思わなくもなかったけど、彼はあまり興味なさそうにずっと後ろでスマホをいじっていて、まるで私と彼女の2人で見に来たかのようでした。
ちなみにこれが、スカラ座での唯一の画像。
ひとり旅の宿命。
ところで、席からアリーナ席を眺めていて、イブニングドレスの上から羽織をガウン風にさらっと着ている女性を見つけました。
世界中のレストランで独自の発展をとげ、もはやご飯の上になんでもかんでも乗せたり巻いたり1〜2口サイズに小さくまとめているものの総称が「sushi」なんだろうなと思うことがありますが、kimonoもそういった展開が始まっている気配を感じました。
伝統は守らなきゃいけない。
でも生きて残るためには、形を変えていかなくてはいけないときもある。
「正しい」とされている形は、志の高い人や、博物館の中に残ればいい。
むしろ博物館に保存された時点で、それは死んだのだと思います。
着物で全力疾走
この日の演目「マノン」は素晴らしく、カーテンコールが続いて、スカラ座を出たのはすでに12時近く。
なんと…豪雨。
劇場前はミラネーゼの迎えのセレブな車で大渋滞で、庶民の流れに乗って、ガッレリアを通ってドゥオモ前のタクシー乗り場へ。
なんと…ここも長蛇の列。
豪雨の中、ここに並ぶ気力が保てなかったので、仕方なく帰りもメトロポリターナで。
幸い私はそれまで何も感じたことはなかったけど、やはり一般的に大きな駅周辺は治安が良くないと言われるので、最寄駅のチェントラーレに着いて、地上に上がってから、ホテルまでの5分くらいの道のりを
全速力で走る!
豪雨の中!
着物姿で!
日本でもなかなか見ることのない、謎の光景だったことでしょう。*6
*1:普段、着物で出かけるときも、もし今日大地震が起きたら逃げられるのか? 助かっても救援物資が届くまでの間、避難所でこの格好で過ごせるのか? など考えてしまう
*2:先日の米国下着ブランドのKIMONO登録商標騒動で思うところがあり、書いてみました
*3:洋服ほど流行り廃りが無い、サイズが変わってもなんとでもなる、仕立て直しもできる、今ならどこの家にも余っていて無料で手に入る
*5:以前ミラノのトラムの中で、おじいちゃんに「私はかつて日本人と一緒に捕虜として拘留されていたことがある」と話しかけられ、片言の日本語を聞かせてもらったことがあり、同盟国を初めて意識した思い出があります
*6:だって、万一何か事件に巻き込まれたりしたら、深夜・女一人・治安の悪い場所で・それも着物姿で!!なんて一体どんなワイドショーネタよ!?て感じですからね。
厦門〜土楼〜コロンス島 [中国語のこと]
中国の言語、方言は本当に多彩ですが、華南地方は特に複雑です。
今回行ったところでは、大きく言って、閩南話か客家話が話されていました。
もちろん普通話(北京語)も問題なく通じます。
厦門市内でも、年配の方が話す普通話は、やはり訛っていましたが、永定県下洋鎮の初溪小学校の子供たちは、ほとんど訛りのない標準的な普通話を話していました。
初溪村で泊まった土楼には、私以外にもう一組の旅行者が泊まっていて、普通話や英語で話しているのが聞こえたのですが、土楼の老板によると彼らはシンガポール華人で、祖父の代にシンガポールに移住したそうで、普通話と広東客家話を話すとのことでした。わざわざ広東客家話と呼ぶくらいですから、福建客家話もあるに違いありません。
コロンス島で泊まった宿の女の子が話す普通話は、やや台湾国語風でした。軽声になるところもしっかりと声調が付いているとか、文末に北方ではあまり聞かないような語気詞がやたらついてたりとか。
テレビドラマ『流星花園』が流行った頃から、北京あたりでもこんな話し方の若い人が一気に増えた気がします。
土楼の老板と、
「家では客家話で話しているんですよね?」
「そうだ」
といった話をしていて、何気なく
「客家話でニーハオはなんて言うんですか?」
と聞いたところ、これが大変な愚問でした。
老「客家話にニーハオなんか無い、そんな他人行儀な言葉。人と会ったら相手の名を呼ぶんだ、例えば君と会ったら、「やあ、めいべい」 それだけだよ」
私「じゃあ、名前を知らない、初めて会った人だったら?」
老「名前も知らない人?それは一体どういうシチュエーションなんだ? まあでも、「やあ、おじいさん」「やあ、お嬢さん」「やあ、小さいお友達」そんな感じだよ。とにかくニーハオなんて、そんな挨拶を交わすことは無いね」
この説明を聞いて、なるほど方言というのは、そのコミュニティの中で話すものである、と改めて思いました。
アモイ島からコロンス島へ行くフェリー乗り場の待合室は、中国全土から集まった人々でひしめきあっていました。
団体客やチケットを予約している用意周到な旅人たちは、20分おきに出るフェリーに次々と乗り込んで行き、私を含む行き当たりばったりな旅人たちは、窓口の長蛇の列に並んで数時間後のチケットを買い、長椅子や床にぎゅうぎゅうに座ってひたすら待ち続けるのです。
私の隣には派手目のギャル(死語)2人、そして私たちの前には明らかに田舎からやってきた、大きなスーツケースを持った母息子の2人が床に新聞紙を敷いて座っていました。
彼らが話しているのがなんとなく聞こえて、私とギャルは約2時間後、母息子は1時間半後のチケットを持っているようでした。
息子「え?いまから行って、夜に帰るの?コロンス島はすごく楽しいところなのに、そんな短い時間じゃ何も見れないんじゃないの?」
ギャル「そんな、わざわざ泊まるほどじゃあ……」
息子「学生なの?」
ギャル「働いてるわよ」
息子「へ~若く見えるね」
母息子は田舎から来たのだろうと、なぜ私が思ったかというと、この2人が話す普通話が、訛っているだけでなく、ものすごくたどたどしかったからです。
ここ厦門の人たちだって、もちろん訛っているわけですが、私はこれまでどこの地方でも、こんな普通話を話す中国人を見たことがなく、明らかに学校で習った普通話を、ここぞと一生懸命話しているようなたどたどしさだったのです。
ギャルもときどき「え?何?」「なんて言ってるかわからない」なんて何度も聞き返したりするくらい。
留学時代、私たち日本人は、いつも不思議に思っていました。
このおっさんはこんなに訛っているのに、通じている。なのに私が話す普通話はなぜ通じないのか?
その答えを、いま見つけた気がしました。
彼らはきっと、その地方特有の訛りの中で通じ合っていただけなのです。
現在、誰もが気軽に長距離を旅行するようになり、遠く離れた地方の、従来では接触し得なかったグループの人と人が交流するとき、彼らもまた、共通語である普通話にてコミュニケーションをとっていて、ときには通じなかったりしていたのでした。このギャルと母息子のように。
中国現代的文学の父、魯迅は次のように述べています。
其实,文言和白话的优劣的讨论,本该早已过去了,但中国是总不肯早早解决的,到现在还有许多无谓的议论。例如,有的说:古文各省人都能懂,白话就各处不同,反而不能互相了解了。殊不知这只要教育普及和交通发达就好,那时就人人都能懂较为易解的白话文(《无声的中国》)
実は、文語と口語のどちらが優れているかという議論は、もうとっくの昔にすんでいるはずであります、だが中国ではとにかく手っ取り早く解決するというのはどうしても承知しないので、今でもまだいわれのない議論がいろいろ行われています。たとえば、文語ならどこの省の人でもみな分かるが、口語は土地によって違うのだから、かえってお互いに理解し合うことができない、という人がいます。ところがこれは、教育が普及し、交通が発達しさえすればよいのであって、その時になったら、人々はみな比較的分かりやすい口語文を理解することができます。(『声なき中国』増田渉訳)
これは1927年に香港で行なった講演を、厦門に滞在中に書き起こしたものですが、この文から約90年後、厦門のフェリーターミナルで、私はまさにこの口語文による交流が行われる時代が到来した現場を見たのでした。
厦門〜土楼〜コロンス島 [5日目]
11/26(月) コロンス島散策
朝の散歩へ。
宿の玄関が開くのは7:00で、それ以前に外出したい場合は微信でお知らせするシステム。
妹がパジャマ姿で出てきて、鍵を開けてくれた。
昨日行けなかった、コロンス島最高峰の日光岩へ。
日光岩遊覧区として、結構なハイキングコースのようですが、7:30までは、25元で日光岩のみ入場可となります。
7:30を過ぎたあたりから人が続々とやってきたので退散。頂上の展望台は面積が狭くて、人が多い時間帯はちょっと怖いかも。
その後、コロンス島内散策。
ひたすら歩き回る。
特に目的地があるわけじゃなく、ただただ重厚な洋館を眺める。
時々GPSで確認して、方向転換する。
ここで気づいたこと。
厦門島とを結ぶフェリーは、三丘田埠頭か内厝澳埠頭に発着し、方角的に三丘田が表、内厝澳が裏みたいなニュアンスがありますが、宿が三丘田のすぐ近くもしくは東沿岸部なら三丘田、内陸部なら距離に関係なく内厝澳から上陸するのが良いように思いました。
なぜなら、埠頭から島中心部に向かって歩き始めたとき、三丘田からは一気に急勾配になるからです。キャリーケースを引っ張ってあそこを登り降りするのは大変でしょう。
小雨が降ったり止んだり。
なんとなく周囲と趣が違うな〜と思う洋館があって、掲示を確認したら旧日本領事館だった。
こんなとき自分が日本人であることを実感します。建築や美術の様式に詳しくない私が持っている「日本人の感覚」。
歩き疲れて宿に戻る。
コーヒーを淹れて、最後にもう一度テラスを堪能。
帰国の途へ
残念ながら雨。
片手で傘、片手でキャリーケースを引っ張りながら下り坂を歩くのはツライので、100均のレインポンチョを着て*1、内厝澳埠頭に向かいます。
11:00頃、邮轮中心码头に到着。
フェリーを降りると、係員が「空港バスはこちら」と言いながら誘導していて、なーんだ、昨日あんなに右往左往したのに…
ベンチに座って待っているとバスがきて、係員が「高崎机场〜」と言っている。
エアポートリムジンバス的な塗装ではなく普通のバスで、ここからは他にも長距離バスも出ているようなので、中国語が得意でない方は、チケット購入時に空港に行くことをアピールしておくと良いかも。
同様に、バスが空港近くになったときも、運転手がおもむろに
「T3的有吗〜?(第3ターミナルに行く人いる?)」*2
と声を上げるので、ここでも「有有有有有!!!!!」と猛アピールが必要です。
異国のバスは、これがあって怖い。返事し損ねると通過しちゃう危険。
用心に用心を重ねたので、12:00前には空港に着いてしまう。
というわけで、ほぼ定刻通りに無事帰国。
厦門〜土楼〜コロンス島 [4日目]
11/25(日) インスタ映えを探せ!
起床後、朝食のためホテル周辺の中山路歩行街をウロウロ。
昨夜、BRTの駅からホテルまで歩いているとき、あちこちで「花生汤」の看板を見て、あれを朝ごはんにしようと決めていました。
路上の屋台で花生汤と、油条が売り切れだったので揚げドーナツ的なのをテイクアウト。
これがびっくりするくらい美味しかった!
ピーナッツを柔らかく、ほんのり甘く煮たお粥みたいなの。
というか、今回の旅で一番美味しかったのはたぶんこれ。
バスで厦門大学へ
厦門大学は人気の観光スポットらしく、入場制限しているので、事前の予約が必要です。
でもそれは授業のある平日のみ。地球の歩き方や皆さんの旅行記によると、土日は予約不要とのこと。
正門前には観光客の団体が集合写真を撮っていたりして、ごった返しているのをかき分けながら門にたどり着くと、、、がーん、通年予約が必要って!?それもちょうど1ヶ月前に変更になってる!
二次元バーコードを読みとり、予約フォームを見てみると、身分証明番号の入力欄があったので、門衛に「私は外国人なのですが、これは?」と聞いたら「パスポート番号だ」そして「いま予約しても今日は無理だぞ」と言われる。
昔、中国には外国人料金というのがあったけど、同時に「外国人なんです」「このために日本からわざわざ来たんです」と泣きつくと、色々なところで特例が認められたりもしたもんですが、そんな手が通用する時代はとっくの前に終わりました。むしろ、事前に微信で予約とか、外国人に門戸を閉ざしてるよね!
それにしても、厦門大学の何が、こんなに参観者を集めてるんでしょうか?どこの名門大学もこんな観光スポット化してんの?
かくいう私も、よくわからずとりあえず行ったわけですが、いちおう大学の専攻は中国文学で、卒論は阿Q正伝の精神勝利法についての考察だったので、魯迅が教鞭をとった厦門大学を参観するのにふさわしい旅行者だと自負してるんですが、予約がないので入れません。
てか魯迅は厦門大学に5か月ほどしか勤務してない(厦門にあまり馴染めなかった)のに、魯迅紀念館まで建てているとは、なかなかのやり手。
おしゃれエリア沙坡尾〜民族路
大学近くのおしゃれカフェエリア、沙坡尾に。
まだ朝が早いのでおしゃれ雑貨屋などは閉まっていたのですが、インスタ映えするウインドウの前で自撮りするおしゃれ女子がわんさかいました。
続いて沙坡尾から民族路を歩いてホテル方向へ。
このあたりは、華南特有のアーケード付きの洋館が並んでいて、その中に意識高い系?の自家製ロースティングコーヒー店もちらほら。
ランチは有名な乌糖沙茶面を。今朝の花生湯といい、優しい味わい…福建小吃いいなあ。
コロンス島へ。ここでも予定通りにいかず
ホテルに戻って荷物をピックアップして、コロンス島へ行くべく东渡(邮轮中心码头)へ。タクシー捕まえんのめんどくさいのでバスで。
どの方の旅行記にも、コロンス島行きのフェリーの混雑具合は恐ろしく、しかし外国人は予約ができないので、旅程が決まり次第まずチケット購入を!と書かれています。
だから私も、厦門大学からフェリーターミナルに直行して、まずチケットを買うべきだったんだろうけど、でも私の考えでは、日曜日の午後から遊びに行く人なんてそんなにいないんじゃないかな…とにかくチケットのために行ったり来たりすんのは面倒だし、厦門市内散策にどれくらい時間をかけるかは、歩いてみなくちゃわからないんだから、何時のチケットを買えばいいかもよくわからないし。
この日の日没は17:20。この時刻までに着いて、日光岩の頂上で夕陽が沈むのが見れたらいいや…なんて軽く考えてました。
しかしながらフェリーターミナルに着くと、なにこの長蛇の列。考えが甘かった!
ようやく買えたチケットは2時間後の内厝澳埠頭行き。いまから厦門市内のどこかに行くにも中途半端…
とりあえず、空港バス乗り場の下見に行くことに。
翌日、コロンス島からここに帰ってきて、空港に直行するので、絶対に、ここまでの旅程で犯してきたような失敗、計画変更は許されないですから。
でもそれらしき掲示が無いので、案内所で聞くことに。なんか中学生のボランティア女子が座ってる案内所があったので聞いてみると、2人で顔を見合わせて「バス乗り場はあちらです…」と自信なさげな答えで、そちらに行ってみると、それは普通の市内バス乗り場。
うーん。
さらにウロウロしていると、おっさんが「どこに行く?」と話しかけてきたので、空港バス乗り場はどこですか?と聞くと、「遠いぞ。何時の飛行機だ?間に合わないぞ」と言うので、「あなたは…?」と聞くと、「俺は運転手だ」と。
いや、いいです、今から空港に行くんじゃないので、と立ち去ると、それでも背後から「いつだ!予約すれば迎えにいくぞ!」と叫んでる。
日頃、中国全土でタクシー捕まえるのがあんなに難しいのに、こいつはなんで余ってんの?て感じ。
いったんターミナルに戻る際、あの中学校ボランティアの前を通らなくちゃいけなくて、なんか気を遣う…(小心者)
さらにウロウロして、ターミナルの警備員を見つけて聞くと、しっかり教えてくれた。バスは20分毎で、有人の切符売り場がそこにあることも確認。
そうこうしているうちにフェリーの時間に。
乗船時、人民のみなさんは身分証明証をタッチしていた。私はチケットとパスポートを係員に見せる。
しばしクルーズ。
ようやくコロンス島に上陸。
島の中央あたりにある宿まで、GPSが無ければ到底たどり着けなかったと思います。
宿に着くや否や、突然どしゃ降りの雨。日光岩どころではない。
今日の宿はコロニアルな洋館をリノベしたおしゃれなところ。家族経営らしく、フロントの兄が私のパスポートを見て、
兄「これお前が欲しいやつじゃないのか?もらっちゃえよwwww」
妹「ほんとだ!www」
って盛り上がってて、なんでも日本が大好きで、留学する方法を模索中とのこと。
そういえば、フロントにも日本語の音楽が流れてました。*1
だけどここで問題が。
Booking.com では、銀聯カード可となっていたのに、使えないとのこと。
帰国前日の夜に余分な現金なんて持ってないので、ATMの場所を教えてもらい、この土砂降りの中、夕食がてら現金を下ろしに行くことに。ますますBooking.com の利用価値に疑いが。
相変わらずあまり食欲がなく、ひとりでレストランに入る気にもならなかったので、小吃をテイクアウトすることに。
厦門名物「土笋冻」を食べたいと思ってたのだけど、もともと見た目がグロイ上に、見るものすべて、おばあちゃんが路上に座って、家で作ってきたのを売ってる感じで、えええ、それって雨水入ってないですかね?みたいな。
明日もう帰国だしなんとかなるかも…いや体調悪いときにあれはあかんやろ…を天秤にかけた結果泣く泣く諦めて、「金包銀」という豪勢な名前の饅頭と、マンゴーをテイクアウト。
宿のコロニアルなテラスでのんびり食べる。外は怖いくらいの豪雨だけど。
就寝時にまたもや問題発覚。
テラスの扉の鍵が効いてない。これでは外から押したら簡単に開いてしまう。
扉とベッドの間にスーツケースを置くことで対処。角度をいろいろ工夫したりして。
決して貧乏旅行をしているつもりは無いのに、海外で鍵の甘い部屋って意外と多くて、その度にあれこれ知恵を絞るはめになる。
*1:だがそれが誰の曲なのかが私にはわからなかった。JーPOPやアニメ、ゲームに疎いため、日本好きの外国人の皆さんにいつもがっかりされる私
厦門〜土楼〜コロンス島 [3日目]
11/24(土) 洪杭土楼群と田螺坑土楼群
6:00頃、日の出とともに早朝散歩へ。もう一度、向かいの展望台に登ります。
7:30に初渓土楼群を出発。老板の車で30分ほどで永定民俗文化村へ。
チケット売り場で福建土楼客家民俗文化村(え、永定民俗文化村じゃないの?)+承啓楼 98元を購入。
このあと午後の早いバスで厦門に帰りたい旨を話すと、出口前のバスターミナルか、承啓楼前からも厦門行きのバスが出ている。とにかく、ここには戻って来ないようにとのこと。
この永定民俗文化村へのアクセスと入り口に関する注意点については、多くの方が書かれていますが、要するに民俗村はU字型になっていて、一方の端がチケット売り場のある入口、もう一方が出口で、この出口前に永定土楼バスターミナルがあります。
うーん、時間の配分がよくわからない。それにしてもチケット売り場から土楼までの遠いこと遠いこと。
しかし前日に散々土楼を見て、宿泊までしたので、これと言って大きな感動もなかったのが正直なところ。
振成楼では、85歳だというおばあちゃんが、上の階に登りたくない?10元だよ、と話しかけてきたので、登ってみました。
観光客が増えはじめた頃に退散。結局、1時間ほどで出口に到達してしまう。
はっきり言って、この民俗文化村参観の必要性が、よくわかりませんでした。90元の価値があるかっていうと……決め手は振成楼を見たいか否かだけかも。
バイタクで周遊
出口前の永定土楼バスターミナルの時刻表を確認。
で、これからどうするかな。
客待ちしていたバイタクのおっちゃんが話しかけてきたので、承啓楼 と、その周辺をちょっと周りたいんだけど…と言うと、
「田螺坑土楼群になぜ行かない?その他いろいろ回って160元だ。」
店(旅行代理店的な?)に連れて行かれ、壁の地図を見ながら説明してくれる。
12:50 のバスに間に合う?と聞くと、充分間に合う、時間が余るくらいとのことなので、先に厦門までのバスのチケットを買って、周遊をお願いすることに。
結果、これは大変お勧めです。
9:30頃出発して、2時間ほどで参観したのは以下
中でも、四菜一汁と言われる田螺坑土楼群が一番ぐっときました。
程よく生活感があって、棚田のロケーションも壮観。水田の季節はもっと素敵に違いない!
さらに景区入口で入場券を買うとき、「南靖県」と書かれているのを見て、厦門のタクシーのおっちゃんが言っていたnanjingとは、ここであることに気づきました。田螺坑土楼群は、南靖土楼景区の中のひとつなんですね。
おっちゃん!私、バスには乗り遅れたけど、土楼を堪能して、nanjingにも来たわ!
土楼参観の大トリ承啓楼は、円型が何重にも重なり、さすがは土楼王!といった風格でしたが、観光客がかなり増えてきて、歩くのもままならないほどだったので、ちらっと見て退散。
バイタクのおっちゃんも、暑いし疲れてきた様子で、「ここで待ってるから見ておいで……」って感じになってきたし。
11:30頃に永定土楼バスターミナルに戻って、昼食。*1
このとき、この旅行中、唯一の日本人と出会う。
年休を使わず、三連休のみで、地方から羽田→天津経由で今朝早く厦門に到着、鉄道で永定に来て午前中に民俗村を参観、今から厦門に帰って翌日帰国だそうで、土楼に的を絞ったまさしく弾丸ですね。
厦門に戻る
12:50 に永定バスターミナルを出発。15分くらい走って、承啓楼にも停車。
途中、検問?があって公安が乗り込んできて、強烈に鋭い眼光で乗客全員を見渡したのに震え上がりました。
厦門に近づくにつれて渋滞がひどくなり、このあと飛行機で帰国するシンガポール女子がキレ始める。
特に、小さい子供がおしっこしたくなってバスを停め、路肩で用を足したとき。シンガ女子がキレるのと同じくらい、車掌のおばちゃんも「仕方ないでしょ!!」とキレていた。けど一番問題なのは、バスのトイレが壊れてて使用不可になってることなんやで……。
17:00頃、ようやく厦門に到着。
このバスの行き先はただ「厦門」となっていて、往路利用した枋湖客运中心に着くのかと思いきや、どこだかよくわからない路上に降ろされてしまう。
途方にくれて弾丸日本人に話しかけるも、明らかに私を避けていたのでw、しばらくタクシーを待ったけど空車が一向に来ず、バス停はないかしらとキョロキョロすると、BRTの行政中心駅を発見〜!
厦門は現在、地下鉄拡張中だそうですが、このBRTもなかなかの優れものです。
18:00頃、ホテル着。
一息ついてから中山路を散策して、職場へのお土産のパイナップルケーキなどを購入。
メイソウでピカソか岡本太郎を彷彿とさせるような前衛的でやけにおしゃれなピアスとブローチを爆買い。
夕食は厦門名物 西北拉麺。
さすがに疲れて、清潔で機能的なホテルで今日も早めに就寝。
*1:かなり高め