meiguiyouxiangのひとり旅

会社員が、週末+少しの年休で旅行しています。たいていひとり旅です。

死者の日2023 en メキシコ④ 〜 メキシコシティ

コロナ明け初の海外旅行はメキシコへ。

3泊6日の3日目、最終日です。

 

中央郵便局 Palacio Postal

早朝5:00頃にメキシコシティのバスターミナルTAPOに到着。

メトロバスにて宿へ。4号線で乗り換えなしで便利〜。

24時間チェックイン可能のドミトリーで、シャワー浴びて荷物を整理して夜まで荷物を預かってもらうという段取りです。

宿に向かう際、世界一美しい郵便局の前を通る。門も美しいです。

Palacio Postal


シャワー&休息のあと、宿近くのチュロス屋さんで朝ごはんを食べて再び郵便局へ。

というのも今日は土曜日。中央郵便局の営業時間に諸説あり、google mapでは8:00〜12:00となっていたため、まず一番に行くのが安全と考えました。

9:00過ぎくらいに行くと営業していたけど、警備員さんによると、あの美しいロビーの見学は10:00〜16:00とのこと。

そこでいったんお買い物に行き、12:00頃に戻って、無事見学と日本への絵葉書を出しました(12/1現在未達)。

Palacio Postalのロビー

ちなみに昨今、景勝地などでも絵葉書が売っているとは限らないですが、郵便局の前には絵葉書を売る屋台が出ていました。

 

CINSAのホーロー鍋

郵便局からメトロバスでメルセー市場方面へ。

ずっと欲しかったCINSAのホーロー鍋を買いに行きます。

uchiyamahiromi.com

こちらで紹介されている安いお店に向かうはずが、なぜかバス車内で道を聞かれ(?)、いや、私は何も(言葉すら)わからないです、的な対応をしているうちに乗り過ごしてしまう。

慌ててバスを降りて引き返す道中にもCINSAを置いているお店がたくさんあって、リサーチ。まさに欲しかったサイズのミルクパンを発見。

ところが、結局このサイズのお鍋は最初に入ったお店にしかなくて、引き返すことに。もしバスを乗り過ごさなければ、私はこのミルクパンを手に入れられなかったってことでは!

展示品はホーローが一部剥げているところがあって、倉庫から6個入りの箱を出してもらって全品検品。

伝票を渡されて奥の窓口でお金を払ってハンコを押してもらって、棚に戻って商品を受け取る。

この一連の流れ、昔の中国とまったく同じ。そういえば、このようにして北京で買ったホーローの食器類を今も使ってます。*1

 

シウダデラ市場 Mercado de la Ciudadela

オアハカで買えなかったメルカドバッグに心残りがあり、地下鉄でシウダデラ市場へ。

だけど残念ながら、ここでも欲しい柄は無し。縁が無かったんだね。

それより、メルセーからシウダデラに向かう際に乗った地下鉄が途中で止まり、全員降ろされる。駅から地上に上がると異常な数の警官がいて、代替えのバスに乗せられる。上空にはヘリコプター。なんかあったのかな?

これが後のピンチの伏線だったことは、まだ知る由もない……。

 

街の様子がおかしい

郵便局の次は、有名な図書館へ。

それにしても、とにかく街の様子がおかしい。

あちこちにパトカーが止まってて、道路に規制線を張っている。

そうだ、死者の日のパレード!

パレードは14:00〜18:30でソカロが終点

死者の日はもう過ぎたのに、メキシコシティでは本日盛大なパレードが行われる。*2

その交通規制が始まっていて、もしかして午前に地下鉄を途中で降ろされたのもこれ?

けどパレードと地下鉄って、なんか関係ある?

 

あちこちにグラフィティのある街並みを眺めながら図書館に向かう。

この、ソカロより北から図書館のあたり、治安がよろしくないらしく、「できれば行かないように」と色々なところで書かれているのを見たけど、治安が悪いとは具体的にどういうことなんだろ?

スリひったくりはどこの国でもある程度あるとして、道を歩いていて突然撃たれるとか?

けど、街角で奥さんたちが立ち話してたり、小さい子供の手を引いて普通に歩いてたり、っていう極めて日常の風景のなかで、少なくとも私はその「悪さ」を感じることはなかったです。そういう「ニオイ」が無いというか。たまたま運が良かっただけかもしれないけど、、

だけど確かに、エリアによって貧富の差は感じました。

そして、このあたりに住む人たちは今日の死者の日のパレードとは無関係なんだろうな、ということも。

 

ヴァスコンセロス図書館 Biblioteca Vasconcelos

なんと壮観。

エントランスから眺めるだけではなく、図書館カードなどがなくても書架エリアにも入れたので、本を読もうかしら(読めないけど)と思ったのですが……

実は私は高所恐怖症のケがあって、正直かなり無理なダメな種類の構造でした。

やむをえず写真だけ撮って早々に退散。

 

グアダルーペ寺院 Basilica De Guadalupe

さて、図書館の次にどこへ行くか?

今日はちょうど土曜日なので、サンアンヘルの土曜市に行く?

だけど、なんとなくお買い物っていう気分ではない……。ここまでですでに、欲しいものはすべて手に入れてしまっていますからね。それも会心の実用品を。

そこで、反対の北方面に向かうことにする。

地下鉄の駅のルチャリブレ

今回、東京での乗り継ぎ時に立ち寄った銀座のお店にて、たまたま見た海外のメキシコ本で、すごく不思議なビジュアルの寺院が紹介されていて、とっても気になったのです。

右側の旧聖堂が、歪んでるように見えますが、実際に歪んでいます。(この画像ほどではないけど……)

新聖堂がモダンでおしゃれ!

中も荘厳かつエレガント。これまでいろんな国で見た寺院の中で一番おしゃれかも。

ここでも結婚式でした。いまは乾季で、ベストシーズンなんでしょうね。

 

暑かったので、寺院でゆっくりして、さあ次はどうしようかな……

今回、オアハカでの計画を立てるので精一杯で、メキシコシティについては、あまり気が乗らないというか、しっかり調べていませんでした。

残念だったのは、ぐずぐずしていてバラガン建築の予約が取れなかったこと。

sakailog.com

このなかでも特にヒラルディ邸が見たいと思いメールすると、日時の提案はいくつかいただけたけど、私の滞在日程には合わなかったです。

ヒラルディ邸は予約が取りやすいとの記述も見たのですが、やはり遅くとも2ヶ月くらい前にはコンタクトを取るのがよいのではと思います。

 

死者の日パレード

Walmart で職場用のお土産などを購入し、ソカロ方面に帰ることに。

というのも、宿のWhatsAppグループが騒がしくなってきて、曰く「前の道路が封鎖されていて宿から出られない」と。宿は決してパレードのルート上にあるわけじゃないんだけど……

ともかく、パレードは18:30に終点のソカロとのことなので、いまから向かってちょっと見れるかな〜

なんて、これは激しく考えが甘かったです。

ソカロ周辺に着くも、人が多すぎて近寄れず、なんも見えない……

宿に帰るには、本来ソカロを横切って行くのが近道ですが、まったく無理やし。

迂回してもしてもなかなか辿り着けず、ようやく宿まであと少し、というところまで来て、パレードに道を阻まれる。

このとき19:00頃。パレードの全容がわからない……

なにか情報を得るべく検索していて、2018年の在メキシコ日本国大使館による注意喚起を見つける。

f:id:meiguiyouxiang:20231201082534j:image

 

私はまさにこの、5月5日通りを渡れずに足止めとなっているのです。

帰国便は0:50発で、0:05までに空港に着いて荷物を預ければいいので、なんとかなるとは思うけど、交通はいつ復旧するんだろ、、

旅のフィナーレに相応しい盛り上がり。ゴージャスなパレードの列は永遠に続くかのようで、こっちは気もそぞろですけども。

20:30くらいに、消防隊、医療従事者、そして街の清掃員の列がやってきて、歓声も最高潮。これが最後尾でパレードは突然終わり、張り巡らされていた柵があっという間に取り払われ、群衆もバラバラと解散。

私もホッ。日本に帰れる〜

 

市内から空港へ

宿で荷物を受け取り、帰途へ。

まずは当初の予定通り、メトロバス4号線の停留所に向かう。

道路は嘘のようにガランとしてて、そろそろ市内交通も復旧してんのかな?

一応 Google mapを見ると、TAPO 方面のメトロバスは3分後に来ることになってますが、いくら私でも、もうこれには惑わされないです……

バス停にお母さん、息子、おばあちゃんの3人家族がいて、私もその列に加わる。3分待ってももちろんバスは来なくて、そのままずっと待ってるうちに家族がソワソワしはじめたので、「メトロバスは運行しているんですか?」とアプリで話しかけてみると、「私たちもわからない……」という返答。

お母さんに「あなたはどこから来たの?」と聞かれ、日本ですと答えるとすごくびっくりされて、やだ言葉が通じないわ、おばあちゃん日本語できないの?となぜかおばあちゃんを前面に押し出してきたのがすごい面白かった。

おばあちゃんは「私もわかんないよ」などと言いながら*3、通じないのお構いなしにスペイン語で大量に話しかけてくる。

そのうえ、私はいまからメトロバスで空港に行って日本に帰るんだけどと言うと、家族はもっとびっくりして、「このバスで日本には行けないわよ」的なことを言われて絶望的な気分に。*4

バス停前で4人でオロオロしていると、通りかかったおっさんに、いきなり「バスなんて来るわけないじゃん、バカなの?」と笑われる。*5

お母さんが、「でも空港に行かなくちゃいけないのよ」と訴えて、なんか人が集まってきて、みんなでスマホを突き合わせて相談してる。

そういう私は、Uberを起動して車の様子を見ていたのですが、いつのまにか登場した男性が私にアプリを見せて、「この2ブロック先に地下鉄の駅があります」と教えてくれた。(実は知ってた)

その駅に向かわなければいけない雰囲気になったので、その場の皆さんにお礼を言って、言われた方向に向かう。

私はこのとき、持参した米ドル分をほぼ使い果たしていて、あとは交通ICカードにチャージした分を使い切ればキレイだなと思っていたので、できるだけ公共交通で空港に行きたかったのは確か。

でも地下鉄はイヤ……。だってキャリーケース持って階段を降りたり登ったりするのしんどいから。*6

頑張って地下鉄駅に着くと、更なる悲運が。駅に降りる階段前にいた駅職員?警備員?に止められる。「地下鉄は今日はありません」。でも予感はしてました。

今度はこの方が、運行している路線を乗り継いで空港に行く方法を教えてくれようとする。ぜんぜんわからなかったけど。

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けど、なんで地下鉄まで止まるんだろう、祇園祭でも地下鉄どころか市バスだって迂回しながらも運行してるのに。あのソカロ周辺を埋め尽くしてた大観衆は、みんなどこへ消えてしまったの?どうやって家に帰るの?

そう考えると、車の取り合いになったらどうしようと、オアハカで車が見つからずタイムアウトになった記憶が蘇る。

一刻も早く配車依頼したくなったけど、一生懸命教えてくれた職員さんの手前、その方向に向かう。職員さんが見えなくなったあたりで配車依頼。

あっという間に空港に到着。これでもう安心。

 

余談

帰国便に乗ってすぐ、寝てしまいました。もうクタクタです。

だけど小一時間たったあたりで軽食の気配を感じて目が覚める。なんだかんだで夕食を取ってなかったので(ランチのエンチラーダが重すぎたっていうのもある)。

隣の席は上海に帰る中国人で、メキシコへは出張だったそう。中国からメキシコへは直行便がなく、上海ー成田ーメキシコシティ路線が便利なんだそうです。

「日本はいま何時?上海とほぼ同じ、夕方だよね、だからまだ寝ちゃだめだよ」

私は中国語歴が長く、このブログに書いた内容程度なら不自由なく話せるのですが、外国語で話が弾むって、なんて楽しくて嬉しいことなんだろうと、改めて感じました。

盛り上がりすぎて、CAさんから「おやすみの方が多いので、もう少しお静かに」と注意を受けてしまうほど。彼は「まだ寝ない方がいいのに」って言ってたけど。

なので、次の機会がいつなのかはわからないけど、いまもスペイン語の勉強は細々と続けてます。

上空から見たロサンゼルスの夜景

 

*1:もしかして無類のホーロー好きなのか私

*2:死者の日の前後どちらかの土曜日らしい

*3:でも「コンニチワ」とか言われたような。腕に覚えがあるのは事実なのか?

*4:中学生くらいの息子も英語がまったくできず、しっかりしろよ!と思えてきた。これまで英語の通じない国で、学生さんや子供に助けてもらうという場面が何度もあって、この国の未来は明るいんだろうなぁと思ったものですが、メキシコ大丈夫か?

*5:こういうのは未知の言語でもなぜかわかる

*6:日本、特に大阪の駅はほんと優秀

死者の日2023 en メキシコ③ 〜 オアハカ2日目

コロナ明け初の海外旅行はメキシコへ。

3泊6日の2日目です。

 

 

バスで冒険

R03バスの謎

朝、アバストス市場へ。

なんだか街の様子が昨日とは少し違っていて、祭りは終わって、平日なんだなあという感じ。

アバストス市場へはお買い物が目的ではなく、サンアントニオ・アラソラ村へ行くためです。

さまざまさな情報によると、ここから乗り合いタクシーに乗って行くのが一般的みたい。

tabimosaic.com

だけどこのとき私は、アラソラ行きの乗り合いタクシーを見つけることはできなかったです。

じゃあバス?

普通に日本でやるように Google mapで検索すると、Oaxaca-zaachila (道路の名前?)を通って、アラソラ村に向かって上がっていく交差点に停まる路線が分刻みで出てきます。

その中から乗り換えなしで行けるバスに乗ろうと、そのバス停に行って待つと、なんとGoogle mapが言ってる時間ぴったりにそのR03バスがやってきました。バスがここまで時間に正確なのって、日本でも珍しくない?

念のため「サンアントニオアラソラに行きたいのですが」と運転手さんに尋ねると、「9ペソ」との返答だったので、乗る。なんと順調。

街を出るとトウモロコシやサボテンの生える田舎道になって、ときどき道路脇で人々が手を挙げてバスを停めて乗ります。降りる時も運転手さんに「そこのサボテン群のとこで」みたいな感じで申告して、希望の場所で降りることができます。

このシステム、海外ではよくあるけど、日本でも田舎のほうではやってたりするのかな?

自分が降りる場所をGPSで確認しながら、私もいいタイミングで停めてもらえたらいいんやけど……(自信ない)


ところが、なぜかこんなことに。


なんで?

運転手さんに、いまの私の窮状を伝えたい!けど、こんなときに限って電波が弱く翻訳アプリが使えない。というか、これを簡潔な日本語でなんと言い表せばいいのかもわからない。機械翻訳で良い結果を得るには、明確な日本語の入力が基本なのに……。

ようやく「アラソラ村に行くにはどこで降りれば良いのですか?」の翻訳ができて、停車したタイミングで運転手さんに見せると、運転手さんはちょっと舌打ちする感じで(そりゃそうだ、そもそも路線が違う?んだから)、「とりあえずそのまま乗っとけ」的な身振り。結局、終点のZaachila(サアチラ)まで行ってしまいました。

バスが2台止まっていて、民族衣装を着た人たちがベンチに座って出発を待ってる小さなバスターミナル。

で、どうすれば?とバスを降りようとすると、運転手さんがまたもや「そのまま乗っとけ」な身振り。

いま思えば、ついでにサアチラでゆっくりすれば良かったかもしれないけど*1、ドキドキしながら次の展開を待っていると、その運転手さんが再び運転席に乗り込んできて、フロントガラスに置いてあるプレート「Zaachila」を裏返して「Centro」に変更し、折り返し出発しました。

しかし私は結局どこで降りればよいのか?

アラソラ村の(できるだけ)最寄駅かつアラソラ村への次の足が見つかるような地点とは?

運転手さん、降りるべきときが来たら何か言ってくれるのかな?

と手に汗握りながらGPSを見張っていると、

復路は本来の予定のOaxaca-zaachila (という道路?)を通ってるし!なんで?

というわけで、なぜか復路は難なく予定通りの交差点のあたりで降りることができました。*2

 

サンアントニオ・アラソラ San Antonio Arrazola

ここから、まずはオアハカ木彫りアレブリヘス(Alebrijes)の創始者、マヌエル・ヒメネスさんの博物館(Casa Museo Manuel Jiménez)を目指します。

当初、乗合タクシーのシステムがよくわかってなくて、運転手がスピードを落として声をかけてくるのにどう対処していいかわからなかったのだけど、勇気を出して Google map を見せてみると、次々と断られる(笑)。断られる理由がわからないのがなんとも……

しかしある運転手さんが「知らない……」という反応を見せたとき、後部座席に乗っていた赤ちゃんを抱いた女性が「あ、知ってる。これ私の目的地のすぐ近くだわ」と言い、それならと助手席に乗せてくれた。(以上、すべて私の推測)

そんなわけで、無事、目的地に到着。

ミュージアムで作品の数々と、マヌエル・ヒメネスさんを紹介するドキュメンタリー映像(英語字幕付き)を見る。

横の部屋ではワークショップをやっていて、可能なら私も参加したかったです。

ここで一体のコヨーテと目が合って、とても気に入ったんだけど、ちょっとクールダウンするために、村を歩いてみることに。

壁画のなかを歩き回る。

アレブリヘスを売るお店もたくさん並んでて、色々見たけど、あのコヨーテよりもグッとくるのは無いかな……

なんて考えながら歩いていて、ふと、この壁、なんか見たことある、、

そうだ、春に見たみんぱくゼミナール「民衆芸術ー ラテンアメリカの人びとの創造力と批判力」のフライヤーに載ってた画像だ!

ここでなんだかとても不思議な気持ちに。

あのとき私は、4年ぶりの海外で感覚が鈍ってるだろうに、なんでよりによってハードルの高そうなメキシコへ……ま、メキシコシティでおしゃれカフェに行ったりお買い物とかできたらいいか〜くらいに考えていて*3、ちょっとした予習のつもりでみんぱくに行って初めて、えええええ、メキシコってこんな素敵なアートがひしめくところなの?と本当に驚いたのでした。

そしてこのストリートアートの画像を見たとき、行ってみたいという気持ちよりも、文化人類学者の方がフィールドワークに行くようなところであって、素人の私に行けるところではないという印象を強く持ちながらも*4、「サンアントニオアラソラ村」と手帳にメモっていたのです。

そしていま、私はまさにその壁の前に立っている。

コロナ禍で旅行することができなかったとき、観光業の方々の苦肉の策としてリモート旅行が行われたりしました。

さらにはVRも話題になって、このまま旅行は廃れるのでは?という風潮すらありました。

遠い異国のプロダクトを現地の工房から直接購入するのだって、いまや簡単な話。

私がここに来ることができたのも、事前にwebで得た情報や、Google map、Google翻訳のおかげ。

だけど、サアチラのバスターミナルでの心細さや頼もしい運転手さん、機織り機の前で染料の説明をしてくれてるのにわからないもどかしさ、暑いけど乾燥、とうもろこしとモーレの匂いは、現実に足を運んだ私だけが手に入れられた偶然。

DXにより、これまで行くのが難しかったところに簡単に行けることはあれど、ツーリズムが廃れることは絶対ないって確信しました。

 

セントロ再び

コヨーテを購入し、セントロへ戻ります。

乗り合いタクシーを降りたあたりにバスが停まっていて、まさに発車するところだったので、とりあえず乗る。一本道なので、どう考えても乗り合いタクシーに乗ったあたりのバス停には停まるだろうし。

予想通りの場所で降りて、しばらく待っているとやって来たCentro行きのバスに乗る。

どこらへんで降りようかな?と考えていると、泊まっているホテルの前にバス停があって、そこに停まったのでびっくり。もうチェックアウトして荷物を預かってもらってるだけだけど。

とりあえずチョコレートドリンクで休憩。

 

テキスタイル博物館

セントロの地図を見ていて見つけた「Museo Textil de Oaxaca」が気になるので行ってみることに。

オアハカには多種多様な民芸品がありますが、織物も豊富です。

博物館の観覧は無料で、入り口のロッカーに荷物を預けて、受付のノートに国、名前、入館時間を記入します。

オアハカ州各地の、19世紀後半から21世紀の日常着や儀式用の衣服が多数展示されていました。(常設展?)

museotextildeoaxaca.org

これが非常に洗練されていて、民族衣装、民芸品の一般的なイメージとは異なったものも多く、とても見応えがありました。

さらに建物も素敵でした。この博物館は本当におすすめです。

またこの周辺には、生地屋さんや手芸店も多くて、散策も楽しかったです。

 

モーレ Mole

遅いランチはオアハカ名物モーレ料理。

美味しい/美味しくないではなく、「複雑な味」という表現がぴったりだなと思いました。

あと、日本のECサイトのメキシコ雑貨についての口コミで、臭いのことを書いてる人が多いなぁと思ったことがあって、「甘いような、決して悪臭ではないが、よくわからないニオイ」らしいんだけど、このモーレの匂いでは?と思いました。

左側のチェックの生地の中には、もちろん焼きたてトルティーヤが入ってます。

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後でモーレについて検索したら、ここが一番わかりやすかったです。さすがですね。

www.meiji.co.jp

 

サントドミンゴ教会の結婚式 Iglesia de Santo Domingo

ハラトラコ地区あたりを散策した後、サントドミンゴ教会の前を通りかかったとき、花嫁さんの車に遭遇。

ここでもやっぱり楽団付き。いつもどこでも音楽があるね。

www.instagram.com

 

夜、ホテルに戻る際にソカロを通りかかると、またもやパレード的な盛り上がり。

死者の日まだまだ続行中?

オアハカ2日間を目一杯楽しんで、メキシコシティに向かいます。

 

バスで冒険再び

メキシコは長距離バスが発達しているそうです。鉄道が無いから。

メキシコシティオアハカの移動は、時間の節約のために深夜の長距離バスを選択しました。

この夜行バスについてはすでに多くの方が書かれていますが、どこでも読んだことが無かった体験がありました。

 

ADOのチケット

渡航の2ヶ月くらい前に、多くの方と同じようにADO(アデオ)をwebで購入しようとしたところ、ADOの公式サイトが一向につながりませんでした。

日本からはアクセスできない説もあるようなのですが、開くときもあるのが曲者。普通につながって時刻表を調べて、後日購入しようとしたらつながらない、みたいな。時間帯の問題?

仕方ないのでチケットサイトで購入。なんか怖いのでPayPal で。

けど本当に怖いのは、チケットを買ったつもりが取れてなかった場合ですよね。私の旅程では、帰国便に乗れなくなる可能性が高い……

とりあえず、こちらで購入して問題なかったです。

22:30発 ADO premium  1,196ペソ

www.clickbus.com.mx

 

一等バスターミナル Central De Autobuses

バスターミナルに着くと、めちゃごった返してて、やっぱりみんなバス移動なんだ。

そしてここで初めて気がついたのですが、バスには便名がありません。出発時刻と行き先のみ。

けどメキシコシティ行きは、同時刻に数本が30分毎にあったりして、私が乗るバスはどれ……? おまけにここでも、係員が地声でアナウンスしてるだけのような……

心配になって係員にチケットを見せると、「ここじゃない」

別の係員が案内してくれるらしく、ついて行くと、premium用の待合室でした。

外国人旅行者が多く、日本人も数組いました。

 

深夜の緊張

バスに乗車する際、パスポートの提示などはありません。

premiumは座席ゆったり快適で、これなら眠れそう。*5

出発して30分くらいで高速道路へ。けど意外とスピードが遅いですね。

渡航前に、外務省の海外安全ホームページで、メキシコでのバス移動についての注意喚起や事例を見て、怖いな……とは思ってました。有料道路を通ることが推奨されてますが、窓の外を見ると、日本の高速道路なんかとはまったく別物の、何もない真っ暗な荒野の中の一本道って感じで、さらにこの速度では、襲撃するのは容易いことかも……みたいな。

うとうとしはじめた頃、なにかで目が覚めて、気がつくとバスが停車していました。そして運転席と客席を隔てるドアが開いて、男がひとり乗り込んできました。

こ れ は 事 件 !?

咄嗟にGPSを見ると、場所はTehuacán。

まず最前列の日本人女性と話していて、とりあえず強盗ではなさそう……?と思っていると、一人一人の顔をライトで照らしながら通路を歩いてきました。

そして私の斜め前の席の中国人カップルに「パスポート」と言い、彼が出すのに手間取っている間に、また通路を進んできました。

私を含めて最後尾まではスルー。

中国人のところに戻ってきて、パスポートを、顔写真のページだけでなく、本当に全ページをライトを当てて仔細に見て、またビザと入国スタンプのページに戻って……と、「穴の開くほど」とはこのことか!と思うくらい見ていました。

係員は迷彩服で、防弾チョッキを着ていました。

窓の外を見ると、バスは大勢の人に囲まれていて、警察官もいました。荷物室も開けているようでした。

しばらくして、バスは発車。それ以降も、到着まで検問所が数箇所あって、その度に徐行しましたが、停められることはなかったです。

抜き打ちで検査しているのか、道中、一度は検査があるのか?

まとめると、

  • 途中、検問がある
  • アジア人はパスポート提示を求められる
  • 日本パスポートなら簡単に終わる
  • 日本以外なら不愉快な思いをするかも

といったところかと思います。*6

やはりメキシコの治安は、日本や、これまで行ったどこの国とも次元が違うのかと初めて実感した反面、アジア人だけ調べるとは、何を警戒してのことなのか?という疑問も残りました。

しかし以前、北アフリカ某国で、専属ドライバーさんの車で長距離移動した際、あちこちの交差点でパトカーに止められ、その度にドライバーさんが警官にお金を渡しているのを見てしまったことがありました。ドライバーさんいわく「外国人を載せていると目をつけられやすい」とのこと。それに比べたらメキシコはよっぽどまともというか普通だな、とは思いました。

 

その後、決してぐっすりとは眠れなかったけど、無事メキシコシティに到着しました。

*1:いま見てみたら、かなり素敵なところ

*2:復路のお代は請求されず。なんかすいません……

*3:私の海外旅行の目的のひとつに、渡航先のローカル人気アパレルブランドおよび日本未上陸のファストファッションの購入があります

*4:実際には、そこそこ知られた観光地という位置づけ

*5:ちなみにこれが人生2回目の夜行バスで、1回目は1990年代の中国、内モンゴル呼和浩特から北京までの、いわゆる棺桶バスでした

*6:なぜ私はスルーだったのかは不明。明かに日本人顔なのか!?

死者の日2023 en メキシコ② 〜 オアハカ1日目

コロナ明け初の海外旅行はメキシコへ。

3泊6日の1日目です。

 

タクシーで快適

Don Alfonso

朝、ホテルにドライバーさんが迎えに来る。

名前はアルフォンソさん。

私はこのとき、アルフォンソという、いかにもラテンアメリカな響きの名前の人と初めて会って、遠いメキシコに来たんだなぁと実感しました。

その後、旅行の終盤でマルコさんとも出会うのですが、これまで複数のマルコ(イタリア人)と面識があったので、アルフォンソほどのエキゾチックさは感じなかったです。

 

アツォンパ墓地 Municipal Pantheon Atzompa

アツォンパ遺跡へ登る手前にある、アツォンパ墓地に立ち寄ることに。

PELIGRO@アツォンパ墓地前

アツォンパ墓地

アルフォンソさん曰く、地方によって、お墓の飾り付けに違いがある。ここはマリーゴールドを敷き詰めるタイプではない(と言っていたんだと思う、たぶん)。

私は墓マイラー*1を目指していた頃があって、これまで異国の墓地にもけっこう行ってる方だと思うのですが、確かにここまでデコレーションされてるのはあまり見たことがないかも、、という感想。

 

アツォンパ遺跡 Zona arqueológica de Atzompa

実は遺跡の類にはあまり関心がありません……どこの国でも。

でも付近に行ったからには見ておいたほうがいいよねと思い、アツォンパ遺跡へ。モンテアルバン遺跡のほうが有名みたいだけど、ものすごく観光地化されてても……と思って。*2

お天気も良く、ここでもメキシコに来た感が一気に盛り上がる!

アツォンパ遺跡

当初の予定では、この後サンアントニオ・アラソラ村に行くはずだったのですが、アルフォンソさん曰く、テオティトラン・デル・バジェのお墓の飾り付けが、また趣が違うらしい(と言っていたんだと思う、たぶん)。

テオティトラン・デル・バジェへは、この翌日に自力でバスで行くつもりだったのだけど、今日このままアルフォンソさんの車で行くのが良いのでは?という考えが浮かぶ(理由は後述)。

というわけで、ルート的には遠回り感があるけど、予定変更。

途中、オアハカの街全体を見下ろせる高台や

メキシコ感満載の幹線道路

またトゥーレの木などを経て、テオティトラン・デル・バジェへ。

 

テオティトラン・デル・バジェ Teotitlan del Valle

ここに行った目的は、サポテカ族による羊毛タペテを購入すること。

工房をあちこち回って吟味するようなイメージでしたが、まずはじめに、事前に調べていた工房に行ったところ、いきなり運命の出会いをして即決してしまう。

inspire-tokyo.com

矛盾するようですが、典型的な伝統柄ではないのがいいな……と思っていて、いろいろなメディアで「デザイン性が高くモダン」と紹介されていたこちらの工房で、一眼見て「これだ!」と思えるタペテと出会うことができました。Edgardoさんデザイン、お母さんのLindaさんが織ったものです。

 

さて、アルフォンソさんは、工房をいろいろ回ったあと、墓地に行って、家族が集まって飲食しながら先祖を迎える様子を見学するプランを考えていたらしいのだけど、買い物があっさりと完了してしまったため時間が早く、なんとなく墓地を見ただけで終わってしまう。

Linda Zapotec’s で、彼らも今日の午後にお墓に持って行くために準備されていた「タマレス(Tamal Oaxaqueño)」を帰り際にくださった。一見ちまき風で、これをお墓参り時に食べるって、なんか親近感わくやん〜と思ったけど、見た目に反して中の具がかなりスパイシーで、そこはやっぱりやっぱりメキシコ。

 

テオティトラン散策についてですが、例えば日本でもよく売られている有名作家アイザックバスケス氏(Isaac Vasquez)の工房から、今回私が購入した Linda Zapotec’s まで、Google map上では徒歩40分。道中まあまあ勾配がありました。

もちろん他にも工房は無数に点在していて、暑いなか徒歩で見て回って、あれこれ比較するのは難しいのではと個人的には思いました。つまりこれが、自力ではなくタクシーで行くことにした理由です。

 

ひたすら徒歩

ニートファレス市場 Mercado Benito Juárez

宿に戻ってアルフォンソさんツアーは終了、休憩したあとセントロを散策。

日本のアパレルブランドやセレクトショップなどでもよく見るメルカドバッグが欲しくてベニートファレス市場へ行ったものの、これという柄を見つけられず。

というか、物が多すぎて、かつギッチリ重ねられていて、その中を物色しているうちに、自分がどんな感じが好きなのかがわからなくなってしまう。タペテの引きの良さとは大違い。こうなったら、日本の百貨店のほうが納得の一品が見つかりそう……。

ところで「ベニートファレス」とは、オアハカ出身の、先住民族から初めて選出された、1860年代の大統領です。メキシコシティ空港の別名にもなってます。

アルフォンソさんの車でモニュメントの前を通ったとき、ベニートファレス大統領の功績を話してくれたのを聞くまで自分が何も知らなかったので、念のため書きました。

 

その他オアハカでは、民芸品市場(Mercado de Artesanías de Oaxaca)、11月20日市場(Mercado 20 de Noviembre)、アバストス市場(Mercado de Abastos) にも行きましたが、正直言って、メルカドという語から連想するほどの活気が感じられませんでした。

どこも同じ物を売っていたり、空きブースもちらほら。

死者の日期間で休んでいるのか?またはコロナ禍の影響がまだまだ残っているのかもしれません……*3

 

セントロ散策

その他、名物のチョコレートドリンクを飲みながら、夕刻までひたすら歩きまわる。

やはり街全体が、死者の日のデコレーション。

道ゆく観光客の多くは骸骨メイク。

そしてまだまだ現役のビートル多め。

 

サンフェリペ墓地 Panteon San Felipe

web上にたくさんある死者の日の旅行記では、ほとんどの方が10月末のお墓飾り付けコンテスト的なイベントや、31日夜から1日にかけての Velada(夜の集い?)のことを書かれていて、11月1〜2日当日に関する記述は少ないので、見るべきポイントがいまいちわからない。

しかし11月2日夜にサンフェリペ墓地に行った方を見つけ、それがかなり良さげだったので、行ってみることに。

DiDiで行くつもりだったけど、車が見つからない。ホテルに戻ってタクシーを呼んでもらうっていうのも面倒……

「行きはタクシー、帰りは徒歩」と書いていたのを思い出して、歩けない道ではないってことなので、私も歩いてみることに。*4

Google mapでは約1時間。実際歩いてみると、途中、暗くて寂しい区間もあったけど、舗装が崩れてるところでつまずいてひどく転んだりもしたけど、なんとかサンフェリペ墓地にたどり着いて……びっくり!

墓地の入り口脇には屋台が並び、墓地に入るとすごい盛りあがり。ライトアップされ、人がわんさかいて、バンド演奏も。

www.instagram.com

飾り付けに力が入っているお墓では、家族が集まってワイワイやってる。

ここで勉強の成果を……

¿Puedo tomar una foto? 写真を撮ってもいいですか?

みなさん快諾してくれて、なんならお墓に座ってなんか食べてる子供を「おい、写真撮るからちょっとこっち来な」てな感じでどかしてくれたり。


夜の墓地でこんな盛り上がるのは、やはり珍しい光景で、観光客もたくさん。

だけどよく考えると、日本人だってお盆に朝まで踊ってるよね? なんだかやっぱり親近感わく。

それにしても、夜の墓地に集うこのたくさんの人々は、ここまでどうやって来たんだろ……

まさか、私だけがトボトボ徒歩で来たの?

屋台でオアハカチーズ入りの揚げたてパンツェロッティみたいなの(食べるのに両手ふさがってるし熱いしで画像なし・めちゃ美味しかった)を食べて、ホテルに帰ります。もちろんまた徒歩で。

ちなみに、墓地前の道は自動車道と歩道に分かれていて、Google mapだと歩道側をおすすめされますが、暗くて足元も悪いので、車道側の歩道(幅狭め)を歩くほうが良いのではと思います。

また、このあたりは高級住宅街ぽくて、おしゃれな豪邸が並んでいる区間もあり、さほど怖い夜道ではないです。

 

このようにして死者の日を堪能。

初日とは思えない密度の濃さにびっくり。

*1:著名人のお墓を訪ねる活動をする人

*2:万里の長城も、八達嶺よりも司馬台が好き

*3:あるいは自分の感覚が老いたのか

*4:旅行ガイドブックなどを見ていていつも思うのは、行き方は書いてあるけど帰り方がなぜ書いていないのかってこと。

行きの逆ってことなんだろうけど、おそらくその方も、セントロからはタクシーで行けたけど、帰りは車を見つけることができなかったのではと想像

死者の日2023 en メキシコ① 〜 オアハカ0日目

コロナ明け初の海外旅行はメキシコへ。

メキシコはやっぱり遠くて、文化の日の三連休に有給3日を繋げて、なんと3泊6日です。

本題とは関係ないので詳細は省きますが、私はこれまで特にメキシコに行きたいと思ったことはなかったにもかかわらず、なりゆきでメキシコシティ行きの特典航空券をとってしまい、途方にくれることに。

で、さてどうしよう?と思ったとき、みんぱく

「ラテンアメリカの民衆芸術」

を見て、さらにみんぱくゼミナール「民衆芸術ー ラテンアメリカの人びとの創造力と批判力」を聴講したことで、オアハカという魅力的な街があることを知る。じゃあここに行こ〜。

さらに日程が(偶然)死者の日と重なってるやん!

そこで具体的なことを調べ始めたら、ガイドブックやwebで得られるのはコロナ禍前の情報がほとんどで、実際のところは行ってみないとわからないような……?*1

そこで、今後旅行される方の参考になればと、まとめました。

 

 

準備

Duolingo

メキシコは英語が通じないと聞いて、スペイン語を勉強しはじめました。

まずは手っ取り早くDuolingo。次にNHKラジオ講座も。ちなみにDuolingoはわりと南米風発音。NHKはスペイン基準ですが、要所要所で「ラテンアメリカでは〜」という説明が入ります。*2

実際に行ってみると、私が泊まったホテル2箇所には英語で普通にやり取りできる方はおらず、そこそこのグレードのレストランでは英語が話せる人が1人はいる、という感じでした。

けど現地の人は翻訳アプリを日常使いしていて、それでやり取りをしたので、自主的にスペイン語を話すことはほぼなかったです。

米国に隣接しているのにここまで英語をやる気がないのは、やはりスペイン語勢力がそれだけ強大ってことなんでしょうか?

 

DiDiアカウント

流しのタクシーに絶対に乗ってはいけない、とガイドブックに書いてあるし、メキシコ識者からもアドバイスがありました。

けどオアハカではUberは未対応。DiDiは使えるらしく、渡航前にアカウントを作りました。

しかし行ってみると、対応エリアは市内のみ、かつ車が非常に少なく、配車依頼しても一度も車は見つからず、毎回タイムアウトになりました。

ただこれは、死者の日期間中だったことも影響していたかもしれません。

 

アエロメヒコのwebチェックイン

ANAにて成田→メキシコシティ到着後、アエロメヒコのメキシコシティオアハカに乗り継ぐことに。

Web上の口コミによると、

  • メキシコシティ空港の入国審査の混み具合がひどい
  • アエロメヒコはオーバーブッキングが半端なく、国内線でも2時間前にチェックインしなければ乗れないと思った方がいい

事実、職場の出張者が乗り遅れたという話も聞きました。

そこで、メキシコシティでの乗り継ぎ時間はかなり余裕をとりました。

そして渡航数日前に、「メキシコ国内線の場合、出発時刻の48時間前からオンラインチェックイン可能」といったことをアエロメヒコの日本語サイトで見ていて、謎の記述を見つけてしまう。

これは普通に考えて、チェックイン操作後、出発予定時刻の24時間前になったら印刷用のPDFか何かが送られてきて、それを紙に印刷して持って行く必要があるように読めるよね?出発予定時刻の24時間前といえば、私はすでに自宅を出発してるんだけど……

けど、48時間切ってから自宅PCにてウェブチェックインしたところ、即座に印刷用画面が表示され、同時にPDFもメールで送られてきました。日本語サイトの戯言は無視して大丈夫です。

 

海外旅行保険

今回の経路は

関空→羽田

荷物持って自分で移動

成田→メキシコシティ

メキシコシティオアハカ(飛行機)

オアハカメキシコシティ(長距離バス)

以降は往路の逆

 

今回、関空→羽田が勝手に時間変更されたりもして(怒)、羽田→成田間の空き時間がめちゃめちゃ長い。ま、東京で用事があったので、それも済ませられて良かったけど。

私はたいてい、クレジットカード付帯の海外旅行保険。旅程の一部をそのカードで支払うことで有効になるアレです。

しかし、東京で違う目的の旅程にはない地点(たとえば今回は銀座)に立ち寄ったりしてて、保険は有効なのか?と疑問を待ち、自宅→関空だけでなく、念のために銀座→成田のリムジンバスもそのカードで支払いました。幸い保険を使うようなことは無かったですが、この点はちょっと気になるところです。

 

到着

メキシコ入国

飛行中の睡眠の配分がよくわからないまま到着。成田出発時より、時間がちょっと巻き戻ってる。

心配していたメキシコシティ空港の入国時の混み具合ですが、現在日本パスポートは自動ゲートの対象になっていて、ICOCAで改札を通るくらいの手軽さで入国できてしまいました。

それ以外のパスポートの場合、やはり外国人用ゲートは結構な列になっていました。機内は中国人が多かったのですが、バゲージクレームで彼らと合流することはなかったです。

到着後、ターミナル2に移動。モノレールまで少し歩きますが、サインに従って歩けば大丈夫。

基本的にチケットを持ってる人しかモノレールには乗れないようで、途中でチェックがあります。

と、いうわけで国際線→ターミナル移動→国内線の乗り継ぎは、多めに見積もっても3時間あれば十分では?というのが感想です。

唯一の注意点として、乗る便の搭乗ゲートはモニターを見ればわかりますが、搭乗口や搭乗開始は係員の口頭アナウンスのみ。なので行き先の地名を注意して聞いている必要があります。

 

SIMカード

ターミナル2での待ち時間にて、両替とメキシコsim カードを購入することに。

これまでたいていクレカで現地通貨をキャッシングしてましたが、昨今の円安対策として、家に死蔵していた米ドル札を両替することにしました。

円がまだまだ高かった頃、ミャンマーに行った際に準備した米ドルの残りなので、今回の旅行ではさほど円安を気に病まずにすみました。

 

simカードについては、こちらで予習していたのですが、

allartesania.com

2023年11月現在、このエリアにTelcelのショップはありません。

大手コンビニOXXOはあったので、そこでチップを買うこともできたと思うけど、こういうのはちょっと苦手なので、その横にあった携帯ショップにて、アクティベーションまでやってくれることを確認のうえAT&Tの35日間有効のチップを購入。明らかに過容量ですが、他に選択肢なかったし、この際auの海外ローミング690円/日より安けりゃOKてことで。

 

オアハカ空港から市内へ

オアハカ市内までは乗り合いバス(COLECTIVO)で。

ZONA1のチケット115ペソを買って、指定された車に乗る際、行き先を聞かれるので、ホテル名または住所を見せます。

満席になって出発するとき、運転手さんが全行き先を独り言のように復唱していて、このとき、いわゆる 中国人郵便配達問題 を超高速で探索してるわけで、やっぱり人ってスゴイ。

 

オアハカ0日目

足をどうするか?

ソカロ近くのホテルに到着後、ソカロの賑わいを見に行く。

やたら人だかりができているタコス屋台があって、注文のしかたがわからずしばらくポカンと見ていたら、横にいた人が「あなたもひとつ?この子にもひとつね!」と注文してくれた。美味しい〜。

ソカロ@オアハカ

ホテルに帰って、翌日からの行動の最終確認。

オアハカ滞在2日間で最低限行きたいところは以下。

 

アツォンパ遺跡またはモンテアルバン遺跡

サンアントニオ・アラソラ

③テオティトラン・デル・バジェ

④セントロのメルカドでお買い物

⑤いくつかの墓地(どこに行けばいいのかよくわからない)

 

位置関係で言うと、①②を一気に回るのが良さそうだけど、ここで問題になるのは①から②への移動をどうするか。

例えばモンテアルバン遺跡への行き方は、検索したらいくらでも出てくるけど、主にセントロ発着の日帰りツアーの紹介。

DiDiを見ても、アツォンパ村あたりはエリア外なので、行ったものの、セントロに帰る車を見つけられるかどうかすらわからない。

そこで宿のフロントへ。

英語はまったく通じないけど、Google翻訳を駆使して真摯に対応してくれる。

いわく、「本来、公共交通でも行けるが、明日は祭日なので難しいかもしれない。もしよければタクシーを手配しましょうか?」

タクシーは300ペソ/1時間とのこと。

現在の円相場からするとちょっと躊躇する金額ですが、私だけ円高なので、お願いすることに。時は金なり。

 

ここまでで0日目終了。

時差ボケだけど疲れたのですんなり入眠。

*1:出版物の中で一番役立ったと思ったのは、POPEYE 2019年 8月号 [メキシコが呼んでいる!]でした。電子書籍で入手可能です。ご参考まで

*2:ただ、メキシコでの発音が、そのラテンアメリカ風かというと、また違うと思いました。なんもわかってない私でもわかったくらいなので、かなり違うんだと思います

ちょっとソウルへ(ふたり旅)

ちょっとお買い物に、日帰りか1泊でソウルに行きたいな〜とつねづね思ってました。

同僚も一緒に行くことになり、1泊だと慌ただしいよね…とか言ってるうちに2泊3日に。週末+有給1日です。

というわけで、なんと14年ぶりのソウルへ行ってきました。 

 

 

 

飛行機

今回はピーチ で。

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関空ーソウルはなんと1日31便ありますが、その第1便がピーチ 。

仁川に9:30着なので、初日から有効に使えます。

さらに機内で空港鉄道AREXの割引き切符も買える。

けどやっぱり仁川は遠いし、そもそも空港が広く利用客も多いので、グズグズしているうちにソウル市内の目的地に着くのは結局お昼になってしまう。

帰りの移動も合わせて考えたら、金浦発着の便も検討する価値あるかも。ていうか次は金浦にしたいかも。

 

宿泊

宿はAirbnbで。

1泊目は景福宮近くのオシャレ韓屋。

英語ペラペラのお母さんが世話を焼いてくれて、部屋も素敵だったけど、やっぱりちょっと狭かったかな〜。

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2泊目は江南のモダンなマンション。

近年はAirbnbを利用することが多いですが、ホストと一切顔を合わすことなく(ホストはタイ在住)、すべてチャットとパスコードで完了するスタイルを初体験。

チェックイン時間前に、荷物だけ預かってもらえないか相談すると、

「キー無しで入れるエレベーターホールに置いて、一報くれたら、メイドが部屋に入れておきます」

とのこと。

メイドさんが部屋の防犯カメラから、私たちが立ち去るのをうかがっている様子がめちゃおかしかった。とことん非接触

チェックアウト後にゴミの分別に関するメッセージが来て、「え…部屋のゴミ箱そのままで、もうチェックアウトしちゃいました」と焦ったけど、高評価付けてくれてました。

海外の一般的なマンション生活を体験するのも面白いもんです。

 

お肌がきれい

ソウルに着いてまず感じたのは、みんなお肌がきれい!

白くて艶やかな肌のことをよく「むき玉子みたい」と形容しますが、それどころか水信玄餅みたい。

そりゃ韓国コスメ人気あるはず。

けどコスメなど外的要因だけであれほどまで綺麗になるもんでしょうか。

気候、食生活、そして生まれ持った遺伝子がすべてなんじゃあ…

そんな私が今回買ったのはドミナクリーム。

ハイドロキノン4%配合の美白・シミ取りクリーム。

色んな方のブログで見る限り、おそらく最安値のチョンノ5ガ 薬局通りボリョン薬局で₩38000。

さて効果のほどは…?

あと、日本のナウなヤングに人気らしい、3CEのポーチを購入。

 

東大門でお買い物

今回の渡韓の目的のひとつが東大門ショッピング。

韓国モード系セレクトショップで、東大門で仕入れていると聞いたから。

やっぱり昔も今も東大門なんや…

 

生地市場

春夏用の単衣着物を作るつもりで、まずは綿レースの生地を探しに行く。

東大門市場で生地を買った方のブログもたくさんあって、みなさん詳しく書かれていますが、私が一番わかりやすかったのはここかな。

gpen.jp

気をつけるポイントは

  • スワッチを見て注文後、倉庫から届くまでそこそこ時間がかかる
  • 単位は生地幅→インチ、用尺→ヤードなので、事前に計算しておくとスムーズ
  • スワッチに混率が記載されていない店も多いので、素材名の韓国語を調べておくと便利*1
  • 公式には土曜日の午前は営業となっているけど、平日に比べて開いている店はかなり少なめ

待ち時間についても、色々なブログに書かれています。

私の場合は、金曜日の15:30頃に注文して、「30分待って」と言われたけど、その後の予定がつまっていたので、翌日の朝取りに来る旨を伝えて、10:00頃に受け取りました。

しかし思わぬオチがあって、

最初このスワッチを見て気にいって、同じ柄で綿か麻があるとのことだったので、麻を注文。

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現物を受け取って見てみると、なんとタテ柄でした。

おーい、地の目は重要やで!

でもこのお店は、綿や麻の凝ったレース生地が豊富でおすすめです。

 

夜の部

言わずと知れたナイトショッピング。

色々まわるのは体力的に無理なので、apM PLACEに集中することに。ちょうどセール中でめちゃめちゃ賑わっていました。

小売不可・セール時は小売可など諸説ありますが、値段表示もあったりなかったり、店内も自由に見られるところや「ここはサンプルなのでダメ」と言われたところなど、正直よくわかりませんでした。

結論としては、東大門は広すぎ・多すぎで、あの中をあちこち見てまわるくらいなら、弘大やカロスキル、または日本のセレクトショップで、プロのバイヤーの目で選ばれたものの中から、自分好みのものを探すほうがきっとお得…。

 

スパ

韓屋のバスルームが狭かったので、一日の終わりはスパで。ガイドブックにも載ってる東大門の有名店。

システムは日本のスーパー銭湯と同じ。

よもぎ蒸しも初体験。

不思議な感じでしたが、ともかく下半身を温めるのは良いんだろうな…と。

それより、あの袋をかぶってる間、アジュンマがジュースやゆで卵(アジュンマの私物?)を「はい、アーン」なんて、やたら世話を焼いてきたことが韓国ぽい…て思いました。

 

タクシー

韓国のタクシーは、昔から良い印象しかありません。

運転手さんがみんなやけにいい人で、日本人が珍しかった時代には、いろんな人情エピソードがあったり、「お金はいいよ」と料金を受け取ってくれないことも頻繁にありました。

今回のタクシーでの出来事は…

 

英語がわからなくてごめんよ

お店など行き先の住所を見せると、さっとナビに入力してくれるので、どこへでも行けます。

けど注意が必要なのは、Google mapなどアルファベット表記になってるやつ。

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↑これを見せたところ、厄介なことに。おっちゃんは色々試してくれたけど、ハングルじゃないとナビに入れられない。*2

慌てて再検索して、ハングル表記になってるところを見つけて、やっと出発できることに。

けどまあ私だって、いきなりアルファベット表記の日本の住所を見せられて、そこに行けるかっていうと…

だけど走行中、運転手さんはずっと「英語がわからなくてミアネヨ〜」っておっしゃってて、こちらこそとっても申し訳なかったです。 

 

Uber大活躍

以前、インドに行った際に、Uberが大変便利でした。

でも韓国では、(日本と同じく)ハイヤーを呼ぶことになり、割高で利用価値なし、と個人の方の旅行ブログで見たので、そっか〜くらいに思ってました。

実際、街のあちこちにタクシー乗り場があるし、流しのタクシーも簡単につかまえられるし、Uberの存在自体、忘れてました。

しかし東大門の夜。

ナイトマーケットからのスパで、帰途についたのは深夜2時頃。

地下鉄は終わっていて、路上で客待ちしていたタクシーに行き先を告げると「₩30000」と言うので、メーターは?と言うと「こんな時間に、近すぎるので、メーターで行く運転手などいない」だって。

困った。

でも、こんなときにUberだ!と閃きました。

ハイヤー(支払いはクレカのみ)だけでなく、一般タクシー(現金のみ)も呼べます。

到着済みなのに見つけられなくて焦ってたらコールがあって、「どこ!?」「◯◯の前にいます」「なんだ反対側か!よし、そこでキダリセヨ〜」と言った途端、すんごい勢いでバック&Uターンしてるのが表示されて、めちゃ可笑しかった。

もちろん行き先も伝達済みなので、超スムーズ。

というわけで、韓国によく行く人はすでにカカオタクシーとか使ってるかもしれないけど、多くの国で汎用的に使えるUberは韓国でも有用です。

というか、いまの時代もまだ、あんなぼったくりタクシーって健在なんや…

 

机の脚が折れるほど

2日半で食べたのは以下。

いずれも有名店で、いまさらグルメレポートは必要ないと思うので、自分が事前に知りたかった混み具合などの情報を書いてみます。

 

◾️開城マンドゥ「宮」 

金曜日 13:00頃訪問

混んでいたけど空席はあり。地元客と観光客で半々。

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◾️2Dカフェ「cafe 延南洞 239-20」

金曜日16:00頃訪問

混んでいたけど空席はあり。地元客と観光客で半々。

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◾️韓定食「青受亭」

金曜日 20:20頃訪問

客は1組のみ。私たちの滞在中もう1組来店。いずれも地元客。

ここは予約が必要かもと、数日前に日本から国際電話をかけたけれど、「◯◯は1番」みたいな音声案内が流れ、まったく聞き取れなかったので(笑)断念した経緯があります。

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◾️パッピンス「小赤豆」

金曜日21:15頃訪問

混んでいたけど空席はあり。ほぼ地元客。

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◾️アワビビビンパ 「수라선 (スラソン)」

土曜日12:30頃訪問

混んでいたけど空席はあり。

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◾️韓式カフェ「金氏夫人」

土曜日15:00頃訪問

ほぼ満席。地元客。

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◾️焼肉「大峙精肉食堂」

土曜日20:00頃訪問

客は1組のみ。地元客。

精肉店がやっている焼肉屋さん。

日本でもよくあるような、絵に描いたような「焼肉店」ですが、特筆すべきは、今日の日本では食べられないユッケがあること。

美味しいのはもちろん、視覚的なインパクトも大。

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◾️さつまいもアイス「招福 仁川空港店」

日曜日14:30頃訪問

コグマアイスはsold out

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第3次韓流

私の韓国との出会いは、1997年の中国留学時、寮の二人部屋で韓国人とルームメイトになったこと。

その翌年に初めて韓国に行ったときに、人気デュオ Panic と、人気インディーバンドCrying Nut のCDを購入。

これがきっかけで韓国にどハマりしました。

その後、2000年にイ・ジョク(当時GIGS)の入隊コンサートに行ったことでなんとなく気が済んで(?)、それ以来、韓国からは遠ざかっていました。

いま思えばこれが第0次韓流。

当時から、日本のタワレコHMVなどにも韓国歌謡、ロックのCDは豊富にあって、一定のファンはいました。*3

 

2005年にCrying Nut 除隊コンサートのため5年ぶりに渡韓。

時はまさに第1次韓流。

街には日本人と日本語が溢れ、私が知っていたソウルとは様子がまったく違っていました。

このとき一番驚いたのは、テレビで安達祐実の「家なき子」を日本語のまま放送してしていたことです*4

2002年の日韓W杯以前は、日本語コンテンツに関する規制はかなり厳格で、中国時代の友人への手土産にJ-POPのCDを持って行ったりしていました。*5

 

今回ソウルから帰ってきたとき、意外にも何人もの人から「大丈夫だった?」と聞かれました。

日本製品不買運動の様子を、テレビのニュースで盛んに放送していたそうです。

だけど、かつて日本語が禁止され、なにかというと日章旗を焼き、日本人女性が旅行するのが珍しかった時代に、行く先々で市井の人に暖かく迎えてもらった経験に比べると、不買運動なんて、新鮮さがまったく感じられませんでした。

そんなことよりいまは第3次韓流で、ピーチ機内も若い女性で満席。

私も彼女たちのインスタを大いに参考にさせてもらいました。

 

ちなみにcrying nut もイ・ジョクも、現在では1〜2年に1度のペースで日本公演を行なっています。 

*1:英語はあまり通じない

*2:漢字表記も結構ダメ

*3:以前、韓国の李さんとお会いして、肩書きが博士だったので、思わず「イパクサですね」と言ったらひどく驚かれ、「日本でも有名ですよ」と言ったらさらに驚かれたことがあります。

*4:地上波では2019年現在も禁止。

*5:でもみんな海賊版カセットテープで、ほぼリアルタイムに聴いていた

海外で着物を着る

いつか海外で着物を着たいな、と思っていました。

Instagramでも #着物で海外  #海外で着物 というハッシュタグがあって、和装のみなさんが世界中を行脚しているのが素敵。

ただ、「着物で海外」と「海外で着物」には大きな違いがあって、前者はなかなかハードルが高いかも。

なんだかんだ言って、やはり着物はしんどいです。

まず飛行機に長時間乗るのは、私にはきっと無理。

あと万一のとき、安全面でどうなの?っていうのもあります。*1

旅行だったら、現地で歩き回るのもしんどいし。着物が、っていうより履物が大変。

かといって、ある特別な一日のために、着物一式を持って行くのも、数日の旅行だとなかなか難しい。

しかしついに、「海外で着物」のチャンスが到来しました。

その顛末を書いてみます。*2

 

 

 

 

着物でスカラ座

2018年10月、イタリアに3週間滞在する機会があり、ミラノのスカラ座にオペラかバレエを観に行くことに。

それまでにも2回、イタリアでオペラを見たことがありました。

1回目はスカラ座の桟敷席だったため普段着で。

2回目はベネツィアフェニーチェ劇場のまあ普通の席で、暑かったこともあり適当なワンピースで行きましたが、やはりみなさんドレスアップされてました。

今回は奮発してスカラ座のボックス席を取ったので、これはまさしく着物にうってつけ!

 

ちなみに、チケットは事前に日本からスカラ座公式ウェブサイトにて取りましたが、

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こんな風に選択した席からのビューを確認しながら購入できてめちゃ便利。

この席に着物姿の自分が座るって、ブラビッシーモ!

 

荷作り

着物と洋服の一番の違いは、平面か立体かです。

着物は洋服よりもはるかに多くの生地を使うし、着付けるための備品も多いけど、すべて平らに畳めるので、スーツケースには収まりやすい。

アパレル界の構造の問題点を描いた映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』上映会後のディスカッションにて、会場が京都市内だったこともあってか、「着物こそサスティナブルな衣服*3」という意見が出たのですが、「いつどこで着たらいいかわからない」みたいな質問に対して、「まずは旅行に着て行くのがオススメ。目立つし、やたら人が話しかけてきて友達ができるし、何より荷物が少なくなる」って言ってました。

 

実際にパッキングに活躍したのがこれ。

携帯用たとう紙

www.amazon.co.jp

 

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畳んだ状態で固定できて、スーツケースの中でグチャグチャになることもなし。ジャケット1着よりずっとコンパクトです。

念のため、着物を着ない方のために言うと、着物は畳み方が決まっていて、その折り目が付いた状態で着用します。

唯一、立体になっている衿も。

これが洋服とは根本的に違うところで、とにかく持ち運びや収納に適しています。

 

ただ問題は、履物。

草履はやっぱり容量が大きいです。靴よりもずっと*4

持って行けないことはなかったけど、3週間の内のたった数時間のためにあの箱を…とか、そもそも草履でミラノの石畳を歩けるんだろうか…とか。

個人的には、着物に洋服のアイテムをコーディネイトするのはあまり好きではないのですが、ここは着回しの効くパンプスで。

 

着付け

もちろん自分で着付けができることが前提。もしくは着付けてくれる人と一緒に行くか。

私はいつもyoutubeを参考に完全自己流で着ているのですが、一番難しかったのは、ホテルの部屋の全身鏡と、着付け用具を置けるテーブルがやけに離れていたのと、位置関係が自宅と左右逆だったこと。

でも普段着ない人でも、二部式とか、カシュクールワンピースみたいな作りになってるやつとか、作り帯なんかもあるので、とにかく海外で着物アイコンを体現することが目的なら、なんとでもなるかも。

正直、左右合わせを間違ってるとか、着崩れ過ぎて脱げちゃうとかでさえなければ、多少変になっていても、外国の人にはわからないし…

海外で着物警察に見つかる確率はかなり低いのできっと大丈夫!

 

着物への反応

日本で着物を着ていても、あまり人の視線を感じることはありません。海外の方からも。豪華な振袖なんかを着て歩いたら、また違うのかもしれないけど。

海外でも、自国民も民族衣装を着ている国なら溶け込みそうだし、モードにこだわりのある国なら良い意味で目立ちそう。

ではミラノでは?

私のイタリアへの印象は、とにかく保守的。

そしてイタリアンファッションはレディースよりもメンズだなあという気がしています。

イタリアはやっぱり技巧の国。

さらに感じるのは、イタリアで日常、エスニックなものを目にすることがあまりありません。

沿岸部や南部で、多少のイスラム風なものを感じることがあるようなないような…

そんな中で着物って、どんな感じになるのかな?

そして日本人アピールをしながら歩くって?*5

 

夕刻、チェントラーレ近くのホテルからメトロポリターナでスカラ座へ。

ドゥオモを通る路線なので、観光客で混んでいて、正直、悪目立ちしている感があって、ショールで隠して小さくなる感じで乗ってました。

「あ、よそ者だ」的な視線。

ミラノに普通に暮らしてるアジア人はたくさんいると思うけど、民族衣装着てるとよそ者感が増しますね。

地上に上がると残念ながら雨。

雨のなか歩いてスカラ座に到着。

前回は天井桟敷だったので、横の通用口みたいなところから入ったのですが、今回はもちろん正面入り口から。

ロビーはガチのイブニングドレスやタキシード姿の方から、割と軽めの服装の方まで様々でした。

私の装いはと言うと、アンティークのマジョリカお召しを対丈で。

装飾的な半幅帯をカラテア結び。

ビビットカラーのバレーシューズ。

着物警察に見つかったら眉をひそめられそうだけど、イタリア人にはゴージャスに見えたみたい。

何人かの人が、「ステキね」と話しかけてくれて、メトロポリターナで「民族衣装」だったものが、スカラ座に一歩足を踏み入れた途端「キモノ」になったことを感じました。

ひとりのおじさんからは写真を撮らせてほしいと言われ、正面と、「後ろも」と帯を撮ってました。

でもよく考えると画像はマズイですね…

もし着物に詳しい人の目に触れて、「これは…オカシイわね」なんて言われたりしたら…

 

一番嬉しかったのは、綺麗なスーツを着た年配のシニョーラが、にっこり笑って「ジャポネーゼ?」と話しかけてこられたこと。

一般的にイタリア人は陽気でフレンドリー、みたいなイメージがあるけど、私はあまりそうとは思いません。

なるほど男性はサービス精神旺盛で、気軽に話しかけてくるけど、女性それも年配の方が、見知らぬ外国人に自分から話しかけてくるってことは、あまり経験がない。せいぜい、ふと目が合ったときに微笑みかけてくれるくらい。

イタリア人はやっぱり保守的で、「女性(娘、妻、毋)のあり方」とか、「女性は一歩下がるべき」といったものがはっきりとあるような気がする。

それでも私の着物に反応して、声をかけてくれた。これが着物の力なんだと思いました。

 

これがあなたの国の衣装なのね

席に案内され、個室に入る。一番乗りでした。

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後から若いカップルが入ってきて、シニョリーナが私を見て開口一番

「素敵!これがあなたの国の衣装なのね!」

彼女自身、バレエをやっているそうで、

「いつもは天井桟敷で見ているけど、今日は時別な日なので、ここに来たのよ!

彼は不満みたいだけど!」

結局カップルと私の3人で、私はお邪魔なのかも…と思わなくもなかったけど、彼はあまり興味なさそうにずっと後ろでスマホをいじっていて、まるで私と彼女の2人で見に来たかのようでした。

 

ちなみにこれが、スカラ座での唯一の画像。

ひとり旅の宿命。

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ところで、席からアリーナ席を眺めていて、イブニングドレスの上から羽織をガウン風にさらっと着ている女性を見つけました。

世界中のレストランで独自の発展をとげ、もはやご飯の上になんでもかんでも乗せたり巻いたり1〜2口サイズに小さくまとめているものの総称が「sushi」なんだろうなと思うことがありますが、kimonoもそういった展開が始まっている気配を感じました。

伝統は守らなきゃいけない。

でも生きて残るためには、形を変えていかなくてはいけないときもある。

「正しい」とされている形は、志の高い人や、博物館の中に残ればいい。

むしろ博物館に保存された時点で、それは死んだのだと思います。

 

着物で全力疾走

この日の演目「マノン」は素晴らしく、カーテンコールが続いて、スカラ座を出たのはすでに12時近く。

なんと…豪雨。

劇場前はミラネーゼの迎えのセレブな車で大渋滞で、庶民の流れに乗って、ガッレリアを通ってドゥオモ前のタクシー乗り場へ。

なんと…ここも長蛇の列。

豪雨の中、ここに並ぶ気力が保てなかったので、仕方なく帰りもメトロポリターナで。

幸い私はそれまで何も感じたことはなかったけど、やはり一般的に大きな駅周辺は治安が良くないと言われるので、最寄駅のチェントラーレに着いて、地上に上がってから、ホテルまでの5分くらいの道のりを

全速力で走る!

豪雨の中!

着物姿で!

日本でもなかなか見ることのない、謎の光景だったことでしょう。*6

 

*1:普段、着物で出かけるときも、もし今日大地震が起きたら逃げられるのか? 助かっても救援物資が届くまでの間、避難所でこの格好で過ごせるのか? など考えてしまう

*2:先日の米国下着ブランドのKIMONO登録商標騒動で思うところがあり、書いてみました

*3:洋服ほど流行り廃りが無い、サイズが変わってもなんとでもなる、仕立て直しもできる、今ならどこの家にも余っていて無料で手に入る

*4:愛用のカレンブロッソは特に…。

*5:以前ミラノのトラムの中で、おじいちゃんに「私はかつて日本人と一緒に捕虜として拘留されていたことがある」と話しかけられ、片言の日本語を聞かせてもらったことがあり、同盟国を初めて意識した思い出があります

*6:だって、万一何か事件に巻き込まれたりしたら、深夜・女一人・治安の悪い場所で・それも着物姿で!!なんて一体どんなワイドショーネタよ!?て感じですからね。

厦門〜土楼〜コロンス島 [中国語のこと]

中国の言語、方言は本当に多彩ですが、華南地方は特に複雑です。

今回行ったところでは、大きく言って、閩南話か客家話が話されていました。

もちろん普通話(北京語)も問題なく通じます。

厦門市内でも、年配の方が話す普通話は、やはり訛っていましたが、永定県下洋鎮の初溪小学校の子供たちは、ほとんど訛りのない標準的な普通話を話していました。

初溪村で泊まった土楼には、私以外にもう一組の旅行者が泊まっていて、普通話や英語で話しているのが聞こえたのですが、土楼の老板によると彼らはシンガポール華人で、祖父の代にシンガポールに移住したそうで、普通話と広東客家話を話すとのことでした。わざわざ広東客家話と呼ぶくらいですから、福建客家話もあるに違いありません。

コロンス島で泊まった宿の女の子が話す普通話は、やや台湾国語風でした。軽声になるところもしっかりと声調が付いているとか、文末に北方ではあまり聞かないような語気詞がやたらついてたりとか。

テレビドラマ『流星花園』が流行った頃から、北京あたりでもこんな話し方の若い人が一気に増えた気がします。

 

土楼の老板と、

「家では客家話で話しているんですよね?」

「そうだ」

といった話をしていて、何気なく

客家話でニーハオはなんて言うんですか?」

と聞いたところ、これが大変な愚問でした。

 老「客家話にニーハオなんか無い、そんな他人行儀な言葉。人と会ったら相手の名を呼ぶんだ、例えば君と会ったら、「やあ、めいべい」 それだけだよ」

 私「じゃあ、名前を知らない、初めて会った人だったら?」

 老「名前も知らない人?それは一体どういうシチュエーションなんだ? まあでも、「やあ、おじいさん」「やあ、お嬢さん」「やあ、小さいお友達」そんな感じだよ。とにかくニーハオなんて、そんな挨拶を交わすことは無いね」

この説明を聞いて、なるほど方言というのは、そのコミュニティの中で話すものである、と改めて思いました。

 

アモイ島からコロンス島へ行くフェリー乗り場の待合室は、中国全土から集まった人々でひしめきあっていました。

団体客やチケットを予約している用意周到な旅人たちは、20分おきに出るフェリーに次々と乗り込んで行き、私を含む行き当たりばったりな旅人たちは、窓口の長蛇の列に並んで数時間後のチケットを買い、長椅子や床にぎゅうぎゅうに座ってひたすら待ち続けるのです。

私の隣には派手目のギャル(死語)2人、そして私たちの前には明らかに田舎からやってきた、大きなスーツケースを持った母息子の2人が床に新聞紙を敷いて座っていました。

彼らが話しているのがなんとなく聞こえて、私とギャルは約2時間後、母息子は1時間半後のチケットを持っているようでした。

  息子「え?いまから行って、夜に帰るの?コロンス島はすごく楽しいところなのに、そんな短い時間じゃ何も見れないんじゃないの?」

 ギャル「そんな、わざわざ泊まるほどじゃあ……」

  息子「学生なの?」

 ギャル「働いてるわよ」

  息子「へ~若く見えるね」

母息子は田舎から来たのだろうと、なぜ私が思ったかというと、この2人が話す普通話が、訛っているだけでなく、ものすごくたどたどしかったからです。

ここ厦門の人たちだって、もちろん訛っているわけですが、私はこれまでどこの地方でも、こんな普通話を話す中国人を見たことがなく、明らかに学校で習った普通話を、ここぞと一生懸命話しているようなたどたどしさだったのです。

ギャルもときどき「え?何?」「なんて言ってるかわからない」なんて何度も聞き返したりするくらい。

留学時代、私たち日本人は、いつも不思議に思っていました。

このおっさんはこんなに訛っているのに、通じている。なのに私が話す普通話はなぜ通じないのか?

その答えを、いま見つけた気がしました。

彼らはきっと、その地方特有の訛りの中で通じ合っていただけなのです。

現在、誰もが気軽に長距離を旅行するようになり、遠く離れた地方の、従来では接触し得なかったグループの人と人が交流するとき、彼らもまた、共通語である普通話にてコミュニケーションをとっていて、ときには通じなかったりしていたのでした。このギャルと母息子のように。

中国現代的文学の父、魯迅は次のように述べています。

 

其实,文言和白话的优劣的讨论,本该早已过去了,但中国是总不肯早早解决的,到现在还有许多无谓的议论。例如,有的说:古文各省人都能懂,白话就各处不同,反而不能互相了解了。殊不知这只要教育普及和交通发达就好,那时就人人都能懂较为易解的白话文(《无声的中国》)

 

実は、文語と口語のどちらが優れているかという議論は、もうとっくの昔にすんでいるはずであります、だが中国ではとにかく手っ取り早く解決するというのはどうしても承知しないので、今でもまだいわれのない議論がいろいろ行われています。たとえば、文語ならどこの省の人でもみな分かるが、口語は土地によって違うのだから、かえってお互いに理解し合うことができない、という人がいます。ところがこれは、教育が普及し、交通が発達しさえすればよいのであって、その時になったら、人々はみな比較的分かりやすい口語文を理解することができます。(『声なき中国』増田渉訳)

 

これは1927年に香港で行なった講演を、厦門に滞在中に書き起こしたものですが、この文から約90年後、厦門のフェリーターミナルで、私はまさにこの口語文による交流が行われる時代が到来した現場を見たのでした。