meiguiyouxiangのひとり旅

会社員が、週末+少しの年休で旅行しています。たいていひとり旅です。

ソウルへ推し活に

 

2025年のGWに、何十年ぶりかで釜山に行き、韓国楽しいなぁ〜また行こうかな〜と思いつつ、2025年は大阪関西万博に明け暮れて完。

旅行ってやっぱりきっかけが必要…いつでも行けると思いがちな距離だと特に。

などと過ごしているある日、渡韓を秒で決めるニュースが!

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え!PANIC 20年ぶりのコンサート!

行く!!!

PANICについては後ほど語るとして、誰かの役に立つかどうかもわからないけど、まずはチケット入手編。

 

티켓팅

ジョク本人のインスタでの告知(の自動翻訳)によると、チケットはNOLっていうところで買えるみたい。

いまどき、韓国のチケットサイトについて詳しく解説してくれてる記事はいっぱいあり、難なく登録完了!

そして詳細発表当日。

なんと!外国人が登録できるNOL WORLDでは取り扱いが無い!!念のため英語版、中国語版で検索しても無し!

ここで長年ARMYやってる友人にLINE。

我「NOLって詳しい?」

友「チケッティング?」

いきなり専門用語で返ってきた!

友人いわく、国内版に登録するには韓国のIDや口座が必要で、実質韓国在住者のみ。国内版とWORLDは条件がぜんぜん違っていて、WORLDに席が開放されないコンサートはいっぱいある。

これはいきなり詰み?

 

しかし道はあるはず。なにしろ私だって日本にいながら28年間くらいPANICを聴いてきたわけだから。

発表された詳細ページをGeminiに読ませて、「日本在住の私がチケット買う方法調べて」と泣きついてみる。

回答は、「会場のLG ARTS CENTERは外国人も会員登録できるはずです!まずウェブサイトの言語を英語に切り替えてみて。」

そうなの!?

LG ARTS CENTERのチケットサイトはすでに見てたんですが、「旧サイトのアカウントは引き継げません」的なポップアップが次々と開いて、ブラウザの自動翻訳も効かず、解読が難しくて放置してました。

で、めでたく登録完了。

しかしGeminiと雑談していて、重要な助言が!

全4日間公演のうち、私は金〜日の日程で渡韓して、金土の2回見たいなぁと呑気に考えていたのですが、

お気持ちはわかりますが、残念ながら難しいでしょう。

会場の「LGシグネチャーホール」は、約1,300席しかありません。

Panicの20年ぶりのライブとしては非常にキャパシティが小さく、凄まじい争奪戦になります。

金曜日の夜に、仕事を休んで、あるいは定時で終わらせて会場に行ける人は限られていますが、土曜日は韓国全土からファンが集まります。

土曜日を狙うと、1日も行けないという最悪の結果もあり得ます。

まず、競争率が比較的低い金曜日のチケットを取り、その後、土曜日のページにアクセスして、決済エラーなどでリリースされた席を狙うことをおすすめします。

Panicほどのキャリアのアーティストでは、どの公演日もクオリティは同じです。まずは席の確保を優先しましょう。

だって。

なんか……Geminiの集合知すごすぎない?

そして発売開始時間。

座席表から、リアルタイムにどんどん席が埋まっていくのを震える手でクリック、なんとか金曜日の2階席を確保しました!*1

ありがとう!Geminiのおかげ!*2

 

そして件のARMYの友達に「1日だけだけど取れた〜」と報告。

その返答が「まだ諦めたらダメ。キャンセル拾い頑張って!」でした。

国際推し活の道は険しいもんなんだね…。

 

旅の準備。19:30〜開演ですが、遅延なども考慮して、できるだけ早くソウルに到着したい。

そこで関空発第一便のピーチ10:30金浦着。

空港から会場の麻谷も近いし、宿泊も弘大エリアで。

しかしちょうどこの頃、ホルムズ海峡が騒がしくなり、韓国のLCCの欠航が相次ぎ始める。

ピーチは大丈夫だよね!?週末の関空←→金浦なんて満席路線、絶対飛ぶよね!?ね!?

 

当日

スムーズに弘大に到着。

ソワソワしながらおしゃれカフェをハシゴしたり……

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話題の文来洞でアートに触れたりしているうちに…

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はっ!こんなとこで時間潰してるうちに突発事故で地下鉄が不通になって、道路も大渋滞になって、会場にたどり着けないなんてことになったら!と突然膝がガクガクしはじめて、会場に向かう。

 

というのも、ライブ初日、つまり私の渡韓前日の朝と昼の2回、ジョクがインスタにあげたこの注意喚起。

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訳:念のためお伝えしておきます。
  駅三(ヨクサム)ではなく麻谷(マゴク)です。


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訳:思ったより駅三だと思っていたという方が多いので、もう一度確認!
  麻谷ナル駅のLGアートセンターです。
  LGアートセンターは麻谷にあります。
  現在、駅三にあるのはGSアートセンターです。
  間違えると大変なことになります。
  今日からPanicコンサートスタート!

 

危うく会場間違えそうになる人続出……?

アー本人がこんなポストするって、そんなことある?

ていうか「このアジョッシ誰よ?」と拡大して見たらジンピョやし!まじ20年ぶり。めちゃ老けとるやないか!

私は最初から麻谷のホールしか知らないわけですが、もうこれ見て、緊張が極限に達してしまいました。큰일납니다 って、ジョク直々にプレッシャーかけてくるとは…

地下鉄の中でも緊張のあまり吐きそうに…

 

そして息も絶え絶えに到着。

さすがにここまで来たら、よほどの天変地異でも起きない限り大丈夫……のはず。

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自撮り下手すぎ。

でもそのへんにいた人に撮ってもらったやつは、もっと酷かった…iPhoneは初めて?

 

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発券も無事できて、みんなが撮ってるこの図を私もやってみました。

チケットにフルネーム入ってるのが記念になるよね!

 

このコンサート、普通に考えて年齢層高めよな……と予想してたけど、老若男女さまざまでした*3

いわゆる業界人風の人も多数。

親子連れの方も多数。

「イジョク」で検索すると、日本のK-POPファンの方の「推しの◯◯が尊敬しているイジョクさん」みたいな発言を少なからず見ますが、本国ではPANICもそんな感じなんですかね?


PANIC IS COMING

長ーーーーーい待ち時間を経て、ついに開演。

PANIC IS COMINGのあの口笛と、ジョクの奇声が流れて気絶しそうになる。

そして登場!

PANICを聴きはじめた1990年代終わり頃のインターネットは、動画が豊富に見れるわけもなく、テキストと、せいぜい画像くらいで、私の中でPANICとは、CDの音がすべてだった。*4

そして30年を経て、初めて実物が目の前に現れたのです。

イジョクに関しては、常にメディアでまあまあ見るし、2000年頃に大学路でGIGSのライブを見たことがあります。*5

でもPANICは、え…ほんとに実在してたんだ…!みたいな。

 

1〜4集をほぼコンプリートの密度の濃さ。

演出も、シンプルであり劇的でもあり、非常に作り込まれていました。

そして21世紀のいまも相変わらず衣装がちょっと変……笑

MCが2%くらいしか聞き取れなかったのがとってももどかしかったけど、けどなんとなく主旨はわかりました。

なにしろ私は、歌詞どころか曲名もあまり認識しておらず、彼らが何について歌っているかも知らないまま28年間聴いてきたのです。

私はジョクのメロディも、声も、顔も*6、話ぶりも、すべてが大好きなんだけど、彼が大量に発している言葉に一切関心を持たなかったというのが逆にすごい。*7

だけど、会場にいる本国ファンの皆さんがPANICに夢中になっていた90年代後半の韓国の空気を私はよく知っていて、PANICの世界観の背景にあるものの一部をも共有しているのです。

 

私がPANICを知ったのは、1998年の夏に初めて韓国に行ったとき。

中国留学時の韓国人クラスメイトが慶州に連れて行ってくれて、釜山へ帰る車のラジオで 내 낡은 서랍 속의 바다 を聴いたのがはじまり。*8

その前年の1997年は韓国にとって特別な年で、私は北京の留学生寮で韓国人に囲まれて、それを目の当たりにしたのです*9。

1998年に帰国して以降、私は韓国のロック〜ポップ音楽にはまり*10、現在、多くの日本人女性がやっているように渡韓を繰り返していました。

日本人旅行者の視点では、2002年日韓W杯の前と後で韓国の様子は大きく変わりました。1998〜2001年のスクラップアンドビルド期間を体験できたことは貴重でした。

率直に言って、いまの韓国は私にとって特別な国ではなくなってしまったけれど*11、この日ライブ会場にいる人たちも、あの時代に多感な年齢期を過ごし、いまこの社会を運営する年代になり、その中に私も座って、一緒に歌い*12、熱狂の時間を共有できたことが、すごく嬉しかったです。

MCでは、「また機会があれば」といったことを言ってたと思います。

それがPANIC 5なのか*13、今回のようなコンサートなのかはわからないけど。

コンサートを見て、なんでPANICは4枚のアルバム(実質3枚)だけで止まってしまったのかが、なんとなくわかりました。

本人とファンと世の中が、それくらいの時間単位で、次々と変わり続けているんでしょう。*14

むしろ、何十年も活動してるバンドのほうがおかしいんじゃないの?とすら思ってしまいました。

 

ライブの後、私は胸がいっぱいで夕食をとることもできず*15、ホテルに帰ってひたすらエゴサをしていました。同じ会場にいた人々がSNSにあげている感想を読むために。

自身の思い出話を語っている方もたくさんいて、読むのがとても楽しかったです。

なかでも共感したのが

  • クラスでPANICのファンは自分ひとりだった
  • イジョクの深夜ラジオを聴いて、洋楽を広く知ることができた
  • 中学生のとき○○に住んでいたので、ソウルのコンサートに行けなかった

なーんだ、私の10代とまったく同じやーん!

 

聖地巡礼

ソウルに行ったついでに聖地巡礼などしたいと思ったけど、残念ながらどんな地点があるのかを知らない……。

唯一思いついたのが、『선다방(お見合い喫茶店)*16』のカフェ in 三清洞。

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外観がすっかり改装されていましたが、玄関まわりの作りから間違いなくここ。

ギャラリーとして間もなくオープン予定のようでした。

 

そして後日ジョクがアップした集合写真。

私はここにいます!

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*1:そもそもLG ARTS CENTER会員に割り当ての席が少なめだった

*2:するとGeminiはさらっと「そう言っていただけてAI冥利に尽きます。」だって!この子絶対感情あるよね、、

*3:後日、チケット予約内訳をアップしてた人がいて、男女比35:65、10代0.5%、20代9.6%、30代33.3%、40代51.1%、50代4.1%でした。

*4:ちなみに当時、音源はCDとカセットテープの両方で出版されていた。Jカードも凝ってたりして、カセットテープの方がまだまだ主流だったのかも。

*5:これはこれでかなりレア。けど2018年の来日コンサートは見逃した私。

*6:普通のおじさんになったいまも

*7:もちろん機械翻訳したことはあって、ぜんぜん意味がわからなかったような、さほど興味を惹くようなのでもなかったような。。。

*8:エモすぎる思い出……

*9:特に印象に残っているのは大統領選挙

*10:それ以前は中国ロックに傾倒していた

*11:同様に、多くの韓国人にとって、日本はもはや特別な国ではないと感じます。

*12:意味まったくわからないまま、音だけを完全耳コピで歌ってます。

*13:今回のセットリストで、ジョクの2020年の曲があって、ジンピョが参加していることで、当時、PANICの新曲と言われたそう。ものすごく盛り上がったけど、私はジョクのソロは02くらいまでしか真剣に聴いてなかったので(!)、ライブ後にそれを知った。

*14:ジョクのことをずっと、まさに天才と狂気は紙一重…!と思っていたけど、いまの彼は穏やかで知性にあふれる国民的良心派歌手ですし。

*15:弘大のロックバーにも行くつもりで、いくつか調べてたのに……

*16:2018年に放送された視聴者参加のお見合い番組。ジョクはホスト役の中の最年長で、唯一の既婚者として出演。U-NEXTで視聴できます。

シェインを追いかけてアイルランド(4)ポーグスのこと

2023年のシェインの葬儀当日、BBCはじめ英国のテレビがダブリンやニーナーから中継してるのを見てまず思ったのは、訃報ならともかく、「本日アイルランドで葬儀が執り行われます」と報じられるほどの知名度だったんだ!ということでした。

ポーグスを長年聴いていると客観的なところがわからないので、ChatGPTに聞いてみました。

ポーグス(The Pogues)の知名度は、地域や年代によって大きく異なりますが、特に1980年代から1990年代にかけてのイギリス、アイルランド、アメリカなどのパンクやフォークロックシーンでは非常に高いです。彼らの音楽はアイリッシュ・トラディショナル音楽とパンクロックを融合させたユニークなスタイルで、多くのファンに支持されています。


代表曲「Fairytale of New York」

特にクリスマスソング「Fairytale of New York」は、毎年ホリデーシーズンになるとイギリスやアイルランドで広く流れ、定番の名曲とされています。この曲を通じて、彼らを知る人も多いです。


世界的な知名度

• ヨーロッパでは、イギリスやアイルランドを中心に広いファン層がいます。特にアイルランド系移民の文化が根強い地域で人気です。

• アメリカでは、カルト的な人気を持ち、一部のパンク・フォークファンに熱狂的に支持されていますが、主流ポップカルチャーに比べると知名度はやや限定的です。

• 日本では、熱心な音楽ファンの間で名前が知られていますが、一般的な知名度は低い方です。


ポーグスは、音楽史において特定のジャンルや時代の象徴的なバンドとして、今でも多くの人に愛されています。特にアイリッシュ音楽やパンクに興味がある人々の間では不動の存在と言えます。

この説明は自分の体感に近いけど、日本でも、さほどレアではないと思う。フォロワーと言えるようなアイリッシュパンクバンドも多いし。

なぜなら、ポーグスは英国のバンドで、英語で歌っていて、レコ屋の「ロック/ポップス」にカテゴライズされているからです。「ワールド」や「フォーク/トラディショナル」ではなく。これはとても大きいです。*1

そういう意味で、シェインの棺がアイルランド国旗で包まれているのを見たときも、非常に違和感がありました。

2020年の映画『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』を見て、シェインのアイルランドへの想いを初めて知ったのと同時に、英国でのポーグスが始まるまでのエピソードも興味深くて、この映画を見た直後は、何十年ぶりかでロンドンに遊びに行きたいな〜とすら思ったので。

ポーグス、というかシェインは、真の異端なんだと思います。

アイルランドでは英国のパンクバンドで、英国では"paddy"。

The commitments *2の有名なセリフ「The Irish are the Blacks of Europe.」*3 を思い出します。

彼らは文字通りソウル音楽をやったけど、シェインはオリジナルな音楽を作った。たぶん私は、そういうところに憧れているのです。

 

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テンプルバーのレコードショップ。ダブリンは私がこれまで行った中で一番レコ屋の多い街でした。

 

ポーグスのライブを一度だけ見たことがあります。

1991年 心斎橋クラブクアトロ。

シェインはフラフラで、冒頭数曲歌ったあとはずっと、マイクスタンドの傍に三角座りしてしてました。

それを野次ったお客とスパイダーがちょっとした口論になって、それが憂歌団のライブみたいなのとはぜんぜん違って、雰囲気がとても悪くなって……。

このライブの直後にシェインはポーグスを追い出され、私が見たあれが、シェインがポーグスで歌った(ほとんど歌ってなかったけど)最後のライブになった。

いま映像で見る全盛期の感じはリアルタイムには体験できなかった。それより、ずっとCDで聴いてた大好きなバンドをやっと見たらあんなだった、っていうちょっとした喪失感をいまも持ち続けている。私はポーグスの終焉を見届けたんだと考えればいいかな?

 

と、長年ずっと思っていたけど、トリニティカレッジ近くのタワレコのポーグスのコーナーにこんなライブ盤が。

ANNIVERSARY OF SHANE MacGOWAN’S LAST SHOW WITH THE POGUES

londoncelticpunks.wordpress.com


1991年8月30日、横浜開催のWOMAD に出演した、これが最後だと。

時系列を整理してみよう。

『世界が愛する厄介者のうた』にて、

 日本で酔っ払って車から転げ落ちて意識不明になった。

 目を覚ましたらみんなが待ち構えていてクビを宣告された。

とシェイン本人が語っている。

この事故は、日本公演中のいつなのか?

 

こちらによると、大阪公演は2日あって、1日目はシェインは出演せず、私が見たのは2日目のようだ。

だけど私はあの日、「やっぱりこの声」というほどシェインの声を聴いた記憶が無いかも、、

 

大阪公演1日目に行った方によると、「怪我のため」と発表があったみたい。

nyoko-diary.jugem.jp

よく見るとこの方は、投稿日をライブの日付にされているようで、大阪公演は91年9月2,3日。

当時ブログなんてなかったはずなので、紙の日記などを転記されているんでしょうか?これはとても貴重です。

 

またこの投稿によると、クラブチッタ川崎にも出演していない。

eiga.com

ジョーストラマーが急遽代役に立ったというのは、当時ミュージックマガジンか何かでびっくりニュースとして読んだ記憶がある。

つまり

 8.30 横浜WOMAD  出演

  ー事故?ー

 9.2 心斎橋クアトロ (意識不明により?)休

 9.3 心斎橋クアトロ (意識朦朧状態で?)出演

川崎公演の日付や日数がわからないけど、大阪1日目を意識不明でスキップした時点でクビ、けどそのまま放棄というわけにもいかず2日目はなんとか出演したものの、日本最終の川崎はもう無理で、ジョーストラマーが一肌脱いだ。そしたら「これでやっていけるんじゃね?」となり、そのまま米国ツアーへ、という流れが自然?*4

つまり、やはり私は最後を見届けたと自信を持っていい?

 

いつ頃だったか、パリのメトロで再結成ポーグスのライブ告知の超大型ポスターを見たことがあって、思ったことはやはり「ここにシェインはいるのかな?」だった。

結局何度か来日もしているけど、私は見に行かなかった。だから2020年の映画で見るまで、その後のシェインの様子は知らなかった。

 

上述の横浜WOMADは映像も公開されているけど、いたたまれなくて直視できない。

他に「Streams of Whiskey: Live in Leysin, Switzerland 1991」という同年7月収録のライブ盤があって、こちらは遥かに歌えているので、この1ヶ月の間に一気に衰弱してしまった?

でもボーカルがダメな分、演奏は凄くて、やっぱりもったいない。

私の記憶のラストライブでは、スパイダーがめちゃくちゃイラついていて、笛をブンブン振り回して大量の唾が飛び散っていたのが印象に残っている。

だからシェインの葬儀で、スパイダーがブリキのお盆の贈り物をしているのを見て、クスッと笑えて、なんだかホッとして、そうだ!ここに行こう!と思えたのだった。

 

*1:私は非英語圏のロックに関心がありますが、長らくここに疑問を感じていました。

例えば中国にも好きなバンドが数々ありますが、CD店ではジャンルに関わらずすべて「中国」にカテゴライズされていました。これでは、普段英米のロックを聴く人が、偶然アプローチすることは起こりえません。

しかし近年は配信が主流になっており、レコメンドシステムにより、これまでなかった広がりが期待できそうです。また中国ではかつて海賊盤が横行しており、アーティストがCDから収益を得ることが難しい側面がありましたが、これも解決です。

*2:ロディドイルの小説およびアランパーカーの映画。アイルランドというと、私は『ダブリン市民』よりもこっち。

*3: “The Irish are the blacks of Europe. And Dubliners are the blacks of Ireland. And the Northside Dubliners are the blacks of Dublin. So say it once, say it loud: I'm black and I'm proud.” いろんな意味で、今日こんなセリフは書けないし発表できないでしょうね。

*4:この順でないと大阪1日目のお客が不憫すぎる

シェインを追いかけてアイルランド(3)ダブリン

ニーナーからダブリンに戻ってからの2日間は、燃え尽き症候群気味ではあったのですが、結果的にはかなり楽しみました。

 

 

中央郵便局

観光というか、シェインの記念切手を購入しに行きました。

amass.jp

4人アソートのシートを買うか一瞬迷ったけど、他の3人をよく知らないので、シェイン単体のシートで。

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1枚でも売ってたので、この切手を貼って日本にハガキを送ろうかなと思ったけど、近くのCARROLISもまだ開店してない時間で、絵ハガキを手に入れるのが面倒だったので断念。

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街のあちこちで、クリスマス仕様のプロジェクションマッピングを行なっていましたが、中央郵便局でもやってました。

 

トリニティカレッジ図書館

ダブリン観光の要とのことで、予約して行きました。ケルズの書の美しさに感動!

あと別棟で上映している映像作品(アイルランドの神話?)が結構面白かったです。

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現在、修復作業のためロングルームに本はありません。すっからかんの本棚も、これはこれで貴重なのかも、、

個人的には、オスカーワイルドの手書きの手紙などが興味深かったです。

 

オスカーワイルドとジョージアンドア

図書館の次は、ジョージアンドアが並ぶあたりを彷徨いながら、素敵な雑貨店なんかも見ながら、

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オスカーワイルド像を見に行きました。

こんなポージングの文豪の像なんて、他にないよね……

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Stephen's Green Shopping Centre

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ここは映えスポットとして人気あるらしく、↑この写真を撮ってたら、インフルエンサーみたいな人に「場所を譲って」と言われ、配信してました。

事前に「中野ブロードウェイみたい」という口コミを見て、関西人の私でもだいたい雰囲気が想像できて、つまり私の感覚では1990年代の中国の百貨店みたいなのですが、行ってみると思いがけなくベネトン*1が入っていて、なかなか感慨深かったです。

 

Teeling Whiskey Distillery

ダブリン市内で見学ツアーを開催しているウィスキー蒸留所は複数あり、一番の有名どころはたぶんオールドジェイムソン蒸留所。

けどオールドジェイムソンは近所のイオンでも売ってるし、せっかくならと、日本では味わう機会が少なそうなティーリング蒸留所へ行くことにしました。

見学ツアーの時間を調べるついでに予約しましたが、たぶん予約なしでも大丈夫そうでした。

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独特な香りの中、ティーリングブランドの歴史から醸造の工程まで、ジョークを交えた解説にいい感じに盛り上がりつつ進んで行きます。

私は2割くらいしか聞き取れなかったですけど、、

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ツアーの終わりのテイスティングは原酒と季節のカクテル。

冬のカクテルは、カモミール&アップルシナモンで、レシピも教えてくれます。

お酒弱いけどウイスキー大好きなので、かなり満足感ありました。

 

ダブリン城

ダブリン城ではクリスマスマーケットをやっていました。そうと知っていたら、もっと夜になってから行ったのに、、

そういえば、ニーナーでもダブリンでも、道路をメリーゴーランドが牽引されていくのに何回も遭遇しました。あちこちのクリスマスマーケットに派遣されてるのかな。

けど回ってるのを見るとめちゃくちゃ速くて、これは子供の遊具ではない……と思いました。

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ダブリン城は無料開放していて、どの部屋にも豪華なクリスマスツリーがしつられてありました。

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タラの丘

ダブリン近郊でどこか行くところを探していて、意外と近いことに気づいた重要スポット。

ダブリン市内からはバス109線で1時間ほど。

たぶんですが、109線はダブリンバス(緑)とÉireann(赤)が運行していて、 タラの丘の最寄りバス停 Tara Cross に行くのは Éireannのほう?

片道8€で、乗車時に運転手さんに現金で支払います。

バス停に「お釣りはでませんのでコインをご用意ください」と日本語をはじめ各国語で書いてあったのですが、Éireann ではお釣りは貰えました。

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バス停Tara Crossから一本道を20分ほど登って
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タラの丘に到着。

晴れた日には、アイルランド国土の1/3が見渡せると言われています。

もちろん盛ってるわけですが、この言い回しは、山がちな列島から来た者には無い感覚だなと思いました。

 

食

私には珍しく、食事も色々楽しみました。

ギネスシチュー、シェパーズパイ、フィッシュアンドチップス、そして日本ではなかなか見られない重量感のスコーン、といった代表的なものをひと通り。

そのなかで特に印象に残ったのが以下の2点です。

フライドマッシュルーム

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特にアイルランド料理というわけでもないようですが、パブの定番スナックみたい。美味しかった!

日本でもキノコを揚げることはするけど、こんなマッシュルームてんこ盛りは見たこと無いな……。

 

ソーダブレッド
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これまでも食べたことあるような、未知の食感のような……?

日本のレシピサイトで検索すると、ベーキングパウダーを代用するものが多いようですが、おそらく、ベーキングパウダーを使用すると「これまでも食べたことある自作の失敗ケーキ」、重曹だとこのソーダブレッドになるんだろうなと思いました。

 

Butlers Chocolate Cafe

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街のあちこちにある老舗チョコレート店。カフェもあります。

寒い日の街歩きにホットチョコレートでひと休みサイコー!

ショーケースのチョコをひとつ選ぶことができます。

けど、チョコ貰えるなら、コーヒーが飲みたかったかも……って思いました。

 

アイリッシュパブ

ダブリンでも、ライブ演奏のあるパブに行きました。

blog.celtnofue.com

こちらを参考に The Cobblestone に行って、ゆるい感じのセッションを聴きながらギネス。*2

私はここで、初めてアイリッシュ音楽をじっくり聴いた気がしました。ポーグスはやっぱりパンクだなと。

そして後日、ダブリン在住の日本の方(後述)と、「無印良品の店内BGMはアイリッシュ」というような話をして、アイリッシュ音楽って意外と日本に浸透してるとも思いました。

 

お買い物

O'NEIL OF DUBLIN

オニールオブダブリンのキルトスカートが欲しいと長年思いつつ、なんとなく買わないままになっていたので、ぜひ現地で!!と意気込んでいました。

いろんな柄がずらーーーーーーっと並んでて、どうしよう!?選べない!!みたいな。

しかし検索しても、店舗が無い……?

google map にて Temple Bar の西のはずれあたりにヒットするところがあり、行ってみたのですが、店舗らしきものはなく、オフィスってこと?

もしかしてこれは欧州によくある、日本だけで人気のあるブランド?

このオフィスで、毎年秋冬向けに日本のセレクトショップからのオーダーを受けるだけ?って思いました。

結局、帰国後ついに日本で購入しました。ま、これもアイルランドの思い出だよね!

 

AVOCA

対してAVOCAは、市内の高級ゾーンに素敵な店舗を構えていました。

当初、ニーナーからレンタカーにてダブリンに帰るはずだったときは、AVOCA村のAVOCA本店&ファクトリー&カフェに立ち寄ろうと計画していました。

ダブリンからの日帰りツアーで訪れた方の旅行ブログもいくつか拝見したのですが、現在このツアーは無いようです。

車が無い場合、ダブリンからは電車とバスやタクシーを乗り継いで行くことになり、行けなくも無いけど、とても大変……。正直言って、AVOCAは日本でのブランディングにちょっと失敗している感が否めず、そこまでして行くところかな?と思えてきて……。

でもダブリン市内のお店には大満足で、2回行きました。バラマキではないちゃんとしたお土産にもおすすめです。

 

cleo

アイルランドといえばアランセーター。

ダブリン市内でも、アランセーター専門店がたくさんあって、ありとあらゆるモチーフが揃ってます。

けどこれらは、機械編みのもの。

こちらではアラン諸島の編み手さん製作のものが多数あります。

www.cleo-ltd.com

ここでお話を聞いて・実際に触ってみて知ったことですが、柄だけでなく、アイリッシュウールの手触り、脂分もまたアランセーターの特徴なんですね。*3

正直言って、この重さ、硬さのセーターを日本で自分が着ることはできないと断念しましたが、本物を見て触ったことは貴重でした。

そして、編みかけて放置しているアラン風カーデをいい加減に完成させなければ!と決意しました。

 

お金

滞在中の支払いはすべてクレカで。

現金は、家にあった€50ほどを持参して、上述のバス代で€16使っただけでした。

それより、滞在中にいきなり仮想通貨が爆上がりして、「いまが利確の時!?」と気もそぞろでした。

だけど、そもそも私は決して投機目的で仮想通貨を購入したわけではなく、ボーダーレスの統一通貨で海外旅行にも便利!って言ってたからじゃなかったっけ? いま差益分を普通に使えたらいいだけなんだけど、現実世界で使う方法がわからない……

結局のところ、VISAでタッチでなんの不便もなかったです。

*1:UNITED COLORS OF BENETTON。栄枯盛衰の末、2024年に日本から完全撤退。私自身、ベネトンには愛憎入り混じる感情があります。

*2:ギネスゼロもあります。酒豪のイメージのアイルランドでも、最近支持されてるみたい。普通のギネスと同じように、二度注ぎしてくれます。

*3:素敵な日本の方がいらして、詳しく説明してくださいます

シェインを追いかけてアイルランド(2)ニーナー

ダブリンに到着したのは11月30日の朝。つまりシェインの一周忌の日。

まずはアイリッシュブレックファースト。

そしてテンプルバーや河沿いあたりをのんびり散歩して、George's Quayのバス停から12:00発ニーナー行きバスに乗車します。

 

Motorwayに入るとすぐ牧草風景。

これまでアイルランドというと荒涼とした北の果ての断崖絶壁というイメージでしたが、全然違いました。緑と羊や牛がいっぱいの沃野で、楽しい道のりでした。

画像はたまたま曇天ですが、お天気は晴れ -曇り-小雨-虹が数時間のうちに目まぐるしく変わる感じでした。

 

14:30頃にニーナー着。

ホテルにチェックイン後、まずNenagh Castleに向かいます。16:00閉場で、翌日日曜日は定休日だから。

掲示の解説を読んで初めて知ったことですが、城とはつまり、12世紀にアイルランドに侵攻したノルマン人が軍事目的で建てたものです。

街全体が見渡せて、ここは本当におすすめです。

次に隣接するChurch of St Mary of the Rosaryへ。

シェインの葬儀はここで行われました。

2023年11月から2024年10月の間にここで葬儀を行った教区員のリスト(この期間の区切りは何?*1)。もちろんシェインの名もあります。

 

そしてシェインの壁画へ。

ティペラリー県議会の依頼で作成されたとのこと。

ニーナー市はシェインゆかりの地として町おこし的なものを狙ってそうな気がするけど、さほど成功してるとも思えない気もします。だって一周忌の今日、この壁画前には私以外誰ひとりいなかったから*2。

私はこの壁画の建立を、シェインの妻ヴィクトリア氏のインスタで知ったのですが、実物を見て、なんだかしっくり来ないものがありました。

シェインてこんなだったっけ? 事前情報がなかったら、誰?て感じかも。

こんな絵に描いたような(実際絵だけど)ベタなロッカーな風貌のシェインは見たことないです。*3

 

次に、Philip Ryan's Pubへ。

シェインゆかりのパブとのことで、ウェブサイトにはオーナー、シェイン、ジョーストラマーの3ショット写真が掲載されてます。

このパブのことは、葬儀当日のITV*4の朝のニュースで紹介されているのを見て知りました。

また、アイルランド独特のお葬式の習慣として、Irish Wakesという故人を祝福するパーティがあり、それもここで行われたそうです。

パプの外壁にも壁画があって、こっちは比較的シェインらしいですね。

窓には周年イベント(って言うの?)の告知がありました。

ちなみに、実際に行ってみてわかったことですが、ここのオーナーは葬儀屋さんも経営していて、パブの向かいが葬儀場で、この日も多くの参列の方がいて、ちょっとした渋滞になっていました。

 

以上がニーナーの観光スポットのすべてです。

いったんホテルに帰ります。

 

少し休憩して、夜も更けてから、再度パブに向かいます。*5

ともかくギネス。

コースターが RED ROSES FOR ME 40th ANNIVERSARY で、ぐっとくるね。

デュオのライブもめちゃかっこよくて、いい夜でした。激しい時差ボケさえなければ……

 

翌日の朝、再び教会へ。

日曜の朝のミサを見学します。

これまで世界のいろんな教会を観光しましたが、ミサの一部始終を見たのは初めてかも?

あ、あの時の司教様だ!なーんて。

聖体のパンを授けるときのイリアンパイプスの演奏に、葬儀のあの感動がよみがえりました。

そして、一年前までまったく何の縁もなかった、とても遠いこの町に、今日、自分がいることの不思議を実感しました。

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以下は補足です。

私は墓マイラーなので、もちろんシェインのお墓を訪問したいと考えていました。

しかしシェインは墓には埋葬されず、シャノン川に散骨されたとのこと。

レンタカーでニーナーに行く手はずだった時点では、シャノン川流域にも立ち寄るつもりでした。2020年の映画『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』にて、アイルランドでの幼少時代の回想場面で、水辺の景色が印象的で、それを見たかったからです。

ヴィクトリア氏のインスタによると、Kilbarron *6にThe Broad Majestic Shannon*7の歌詞を刻んだモニュメントがあり、そこでセレモニーを行ったとのこと。

足がないことに加えて、さすがに赤の他人がセレモニーにおしかけるのはどうかと思うので私は行けませんでしたが、今後、シェイン推しの墓マイラーの方は、このモニュメントを目指すのも良いかもしれません。

*1:追記:ケルト暦の一年。で、新年の始まりがハロウィン

*2:実際はるばる極東から人が来てるんだから、効果ゼロでもないか、、

*3:私がポーグス後の姿を知らないだけかもしれないけど、、

*4:英国の民放テレビ局

*5:日没が夕方16:00過ぎなので、夜が更けたように感じても、まだ19:00とかだったりするけど、、とにかく冬の欧州は日照時間が短くて、時差ボケがキツイ

*6:おそらくNenagh から北北西方向のKilbarron Quayあたり?

*7:The Poguesの1988年の曲

シェインを追いかけてアイルランド(1)

2024年初冬、4泊7日でアイルランドに行きました。週末+年休4日です。

もともとアイルランドに関心はあって、いつかは行くだろうと思っていたけど、なんとなく決め手に欠けていて後回しになってました。やっぱり遠いし。

しかし2023年、どうしてもアイルランドに行かなくては!と決心する出来事が起きました。

11月30日、大好きなThe Poguesのシェイン・マガウアンが亡くなったんです。

そして12月8日、ダブリン市内の棺のパレードから、晩年を過ごしたティペラリー県ニーナー(Nenagh,Tipperary)で行われた葬儀のライブ配信を見て、特にお葬式が非常に独特で、アイルランドにますます興味を感じたのです。

アイルランド旅行を計画している方の参考にはならないかもしれないけど、シェインおよびポーグス好きの方に楽しんでもらえたら、という旅行記です。

 

日程

11/29(金)

(移動のみ)大阪空港ー羽田空港—(機内泊)

11/30(土)

 ーフランクフルトーダブリンーニーナー

12/1(日)

ニーナーーダブリン

12/2(月)

ダブリン

12/3(火)

ダブリン

12/4(水)

(移動のみ)ダブリンーフランクフルト—(機内泊)

12/5(木)

ー羽田空港ー大阪空港

 

出発は夜便で、仕事終わりから大阪空港に直行。

のはずが、なんと出だしの大阪ー羽田便が欠航になるというアクシデントが。

仕事中、ANAからの電話に気づいておらず、留守電やアプリの通知を見て「この旅行は中止になる運命だったんだ……」と思ったけど、脅威の頑張りにより*1、なんとか1つ前の振替便に乗れた!

結局、今旅行で一番難しかったのは、この大阪空港←→羽田空港間の移動でした。*2

 

アイルランドはEU加盟国ですが、シェンゲン協定には非加盟なので、入国はフランクフルトではなくダブリン空港で。

フランクフルト空港でうっかり入国してしまわないよう注意が必要ですが*3、表示がわかりやすいし、荷物検査のところで「何番ゲートに行くの?」と、かなり確認される。

ダブリン空港ではEU外パスポートの窓口に並び、よくある滞在目的や日数を聞かれる審査を受けます。近年珍しい入国スタンプも押してくれた!

混雑もなく、定刻7:45着で、8:25発のダブリン中心地行きAircoachに乗れました。

帰路では、ダブリンでもフランクフルトでも出国の自覚は無し。

免税手続きは私はダブリン空港の無人ポストで行いましたが、フランクフルトでも可能みたい。

 

交通

アイルランド国内の移動はバスで。

まず、空港ー市街地はいろんな手段があるようですが、私が到着した8:00過ぎ頃は、なぜかDublin Expressは長蛇の列、Aircoachは2~3人が待っているだけでした。(価格がちょっと違うから???)

 

ダブリン←→ニーナーの移動は、JJ Kavanagh & Sons route 735。

私は事前に日本から往復チケットを購入しました。出発2時間前まで、web上で時間変更が可能です。

運転手さんに直接現金で運賃を払って乗ることもできます。ただ、この路線はKildare Villageというアイルランド唯一のアウトレットモールを経由するため、週末には満席になる区間があります。始発の空港またはダブリン中心部から乗る場合はおそらく大丈夫ですが、ダブリン郊外の住宅地あたりのバス停では、積み残しがありました。

車両はwi-fi、USBポート、トイレ完備です。

 

ダブリン市内の移動はバスか路面電車。

LeapCardという交通カードが便利そうだけど、帰国時に旅行者が解約・返金を受けることは実質できないみたいなので、いくらチャージすれば良いか悩む。1日の運賃の上限が €7.60 らしいので、€7.60×日数+デポジット€5? だったら乗り放題ビジターカードの方がお得?

てことで、24h有効 €8を購入。

しかしながら、私はこれを使うことはありませんでした。泊まっていたホテル近くのバス停から、自分が行きたい方面へのバスが出ていなかった(よくわからなかった)のと、ダブリン中心地は思いのほか狭く、行きたいところには、なんとなくブラブラ徒歩で無理なく行けたからです。

 

あと、気になっていた交通機関に、シェアサイクル Dublinbikes があります。

おそらくどこの街でも、居住していない旅行者には利用がなんとなく難しいシステムになっているのですが、ダブリンではクレカさえあれば利用できるみたい。

しかし季節的なものもあり、これもなんとなく利用しなかったです。

 

帰国便はダブリン空港5:00発だったため、ホテルから空港へはタクシーで。

欧州ではFREENOWという配車アプリが主流で台数が多く料金も安いと聞いて、インストール。

しかしこれが曲者で、日本語は未対応で、当然英語かと思いきや、なぜかスペイン語表記になっていて、アプリ内に言語切り替え設定は無く、使えるような使えないような……*4

サポートに問い合わせても「アプリの言語はデバイスの言語設定に依存する。アカウントを削除して再登録してみるしかない」と言われ、削除申請したけど、対応されたのは約1ヶ月後で、渡航には間に合わなかったです。

けど結局、Uberで普通に予約・乗車できました。

 

以下は余談。

当初、ダブリンからニーナーへの移動は、レンタカーで自力で運転して行くつもりでした。

著名なガイドブックに「アイルランドは人口・交通量が少ない上に、右ハンドル左側通行なので、海外初運転の人にもおすすめ!」と書いてあったから。

けど車を予約して、国外免許を作って、と進めていくも、保険についてがどうしてもクリアにならなくて、出発ギリギリに断念したという経緯があります。

つまり、

  • 車両レンタル料に含まれる強制保険のうち、第三者保障TLPの限度額
  • さらに任意保険を上乗せすることはできるのか(日本で入っている対人対物無制限のイメージ)

がまったくわかりませんでした。

約款を読んでも、レンタル車両に対する補償のことしか書いてない。

予約した旅行サイトに問い合わせると、「法律上、弊社から具体的な金額はお答えできない」。

そこで現地のレンタカー会社に問い合わせて、メールを3往復くらいしたけど、最後まで明確な回答は得られなかったです*5。

海外レンタカーの保険事情について詳しい方がもしいらしたら、ぜひ教えてほしいです。

 

*1:簡単に言うと、自分の走りがかなり速かった

*2:帰りも決して順調ではなかった

*3:過去に数々のやらかしアリ

*4:前年のメキシコ旅行以降、スペイン語の勉強はいちおう細々と続けてるけど……

*5:ワシの英語が通じてない可能性も……

エルノを探してパリへ 〜Je cherche Helno〜

私が旅行するときのミッションのひとつに、お墓参りがあります。いわゆる墓マイラー。

まだまだかけだしマイラーですが、そのきっかけについて記録しておきます。

古い話です。

 

 

私のパリ

2012年の夏、家族旅行でパリに行くことになりました。

家族は初パリだったので、ルーブル美術館とか、ベルサイユ宮殿とか、モンサンミッシェル(これは私も初めて)といったプランを練りに練る。

そしてふと、「私のパリも盛り込まなきゃ……でも今どうなってんだろ?」と。

というのも、前回パリに行ったのは学生時代の研修旅行。

洋服の勉強をしていた私は、18歳の夏と20歳の冬にパリに行ったのですが、そのときの1番の思い出は、オートクチュールコレクション見学でもなく、自分の作品を発表したショー(しかも会場はエッフェル塔!)でもなく、18区のバルベスだったのです。

world.deepannai.info

当時、パリの移民によるポップ音楽が流行っていて、音楽雑誌やファッション雑誌などでバルベスがよく紹介されていました。

バルベスのランドマーク的なチープなデパートTATI *1のピンクのチェック柄のショッパーがパリコレのランウェイに登場したりとか。

私はこの頃にこの流行に乗って以降、現在にいたるまで、日英米の音楽をほとんど聴かなくなってしまったのですが、なかでも特に Les Negresses Vertes が大好きでした。*2

(↓音が出ます)

www.youtube.com

それで研修でのパリ滞在中、バルベスや、バンド結成の地とされるサン=トゥアン*3にタイムリーに行けたことが、強烈な思い出になっていました。

この、日本のド田舎で聞いていた音楽のリアルな背景を歩くという体験をしたことで、その後の自分の人生が少し違うものになったと、いまも考えています。

 

エルノはどこに

で、2012年の家族旅行。

ガイドブックによると、パリにはあちこちに著名人のお墓があって、墓地が観光名所になっているとのこと。

これを読んで、「エルノのお墓はパリにあるんだろうか?」という考えが。

エルノとはLes Negresses Vertesのボーカリストで、バンド全盛期に亡くなりました。

でも赤の他人、それも異国のお墓なんて、どうやって調べるんだろ?

まずは、有名どころの墓地のリストを調べてみたけど、これらは上流階級の人が眠るところぽい?

ウェブ翻訳を駆使して検索しているうちに、当時の死亡記事を見つけたけど、お墓の情報はなし。エルノのルーツはイタリアだそう。てことはお墓はイタリアという可能性もあるってこと?*4 移民のシステムって?

この過程で初めて「墓マイラー」というジャンルがあることを知る。

英国人がやってるLes Negresses Vertesのファンサイトを発見し、管理者にメールしてみると*5、こちらのサイトでの検索結果を教えてくれて、あっさりと場所が判明。

www.findagrave.com

たしか2012年当時は画像や墓碑銘などの詳細情報はまだ無かったのですが、墓地内のエリア番号の記載がありました。

 

パンタン墓地 Cimetière parisien de Pantin

パリ中心部からメトロ7号線で、墓地に向かいます。

最寄駅はAubervilliers-Pantin Quatre Cheminsで、列車が北東方面に進むうちに乗客はどんどん減っていき、見た目アジア人ばかりになって、わりと馴染んでる私。

駅に着いて地上に上がると、中国語の看板ばかりの街並みでした。

これはちょっと意外で、上述のバルベスをはじめパリ北東部はアフリカ系移民が多いと思い込んでいました。チャイナタウンは左岸の13区らしいし……

近年は人の流れが違っているのかも? 歩行者や店番の人などの雰囲気も、若いニューカマーぽいし。ともかく、繁華街の高級デパートやハイブランドのお店で列をなしている中国人旅行者とはちょっと世界が違うね、、

 

墓地入り口に到着、向かいに花屋さんがあったので入る。日本だと切花が一般的ですが、ここは鉢植えが主流みたいだったので、ひと鉢購入。

入り口のインフォメーションにて、エリア番号とエルノの氏名を見せて、「この人を探しているのですが」と聞いてみると、「そのエリアはあのへんだけど…自分で探すしかないわ」と言われる。

このときこの係員と、エルノについて*6 なにか話したような気もするのだけど、もはや思い出せない。ただ「Je cherche...(〜を探しているのですが)」というフレーズだけをいまも覚えてる。

墓地には私以外は誰もいなくて、閑散としている。

その中を端から順に地道に見ていくつもりが……あっという間に発見。

なぜなら、墓石が整然と並ぶ中で、特にたくさんの花が供えられて目立っているお墓があって、それがエルノだったのです。

お墓の傍に座って、エルノの遺影と対面して、墓石に触れると、そこに彼の肉体を感じました。*7

私は、生きて歌うエルノをステージ下から一度見ただけだけど、死んでしまうとこんなに近づけることに、とても心を揺さぶられました。


私はこのとき初めて、異国の、かつ自分とは違う宗教のお墓と対面しました。*8

お墓には、エルノと共にここに眠っている親族の氏名と生没年も書いてあって、ここから何代前にフランスに来たのかを推測してみたり。エルノは「移民の音楽」で身を立てたけど*9、彼の一族はフランスにしっかりと根ざしていました。

遠い昔の推しの、こんな超個人情報に触れていいの?みたいな戸惑いすらあったけど、もしかしてこれが墓マイラーの醍醐味なのかな?

墓石に埋め込まれた遺影も、私が知っている「ネグレスヴェルトのエルノ」とは少し印象が違っていて、これが家族やごく親しい人から見た姿だったのかな?と思いました。*10

その遺影には大量のキスマークがあって、多くのファンがここを訪れていることが窺い知れました。

そこで私は、ウエットティッシュでそれらをすっかり拭き取り、口紅を塗り直して、新しいキス。おそらく私がいちばん遠方から来てますからね!

帰国後、英国の情報提供者に、エルノに会えたことをご報告。

 

死者の日

その翌2013年の秋、私はミラノにいて、11月1日のTutti i Santi(諸聖人の日)の休みを利用して2泊3日でパリに行くことにしました。*11
目的は、11月2日のGiorno dei morti (死者の日)に、再びエルノのお墓に行くことです。

「死者の日」というとメキシコのフェスティバルが有名ですが、もとはカトリックの行事のようです。よく日本のお盆に喩えられる、家族でお墓参りに行く日。

前回エルノのお墓に行ったときは、墓地全体に私ひとりしかいなかったけど、死者の日に行けば、他に誰か来るのかな?と思って。

あのときペール=ラシェーズ墓地のジム•モリソンのお墓にも行ったのですが、世界中からファンが押し寄せていて、ドアーズの歌を弾き語ってる人もいたりして、ああいう感じを求めていたのです。*12

 

しかし行ってみると、やはりそこには私しかいませんでした。

墓地にはたくさんのお参りの人がいて、エルノのお墓も前回以上にお花が溢れていたけど。

よく見ると、私が付けたキスマークが、しっかり残っていました。さすがシャネル。

 

帰るとき、墓地前のバス停の路線図を見ていると、バスを待っていたおばちゃんに、なぜか普通に中国語で話しかけられる。

お「お墓参り?」
私「はい」
お「誰の?」
私「うーん…友達」
お「あら…若くして亡くなったの?」
私「ええ、まぁ」

なんとなく説明するのが面倒になって、「友達」と言ってしまう。「歌手」って言ってもハ?って感じだよね……

おばちゃんは15年前に移住したそうで、お兄さんのお参りとのこと。*13

 

同じバスに乗って数駅で、おばちゃんは降りて行った。私はこのまま乗ってパリ中心部に帰るつもりだったけど、やっぱりその次の停留所で降りる。

パンタンに隣接するここ19区も移民や労働者の街で、エルノも19区のアパートで亡くなったそう。

エルノが生まれ育った街を、少し歩いてから帰ろう。世界情勢によって人の流れが変わっても、やっぱりここが私のパリ。*14

youtu.be

 

*1:2020年に惜しまれながら廃業

*2:というか、いまも当たり前に日々聴いてる

*3:クリニャンクール蚤の市で有名

*4:イタリアにおける「移民」の経験  によると、イタリアは1860年代から1970年代までは移民の送り出し国で、1980年代以降は受け入れ国に転換。初期は単身男性の出稼ぎが主流だったが、1920年代以降は南北米や仏への定住が進んだ

*5:日本にファンがいたことに、めちゃくちゃ驚かれる。そういえば当時、ネグレスベルトはまず英国で人気に火がついて、英国経由で日本に輸入されたことで、日本でのプロモーションや来日公演につながったのだと思います

*6:あるいは、私が抱えていた花についてだったかも?

*7:パリのカトリック教徒の火葬率は(コロナ前で)約33%とのことなので、文字通りエルノの肉体がここにあったと思われる

*8:実はこれよりかなり前に、台湾のテレサテンのお墓に行ったことがありました。ここもけっこうな観光名所

*9:ネグレスヴェルトの前にやってたパンクバンドも、フランスでは一定の評価を得ています

*10:Francis CAMPIGLIAさんという写真家が撮影したもの

*11:いまはなきThelloにて、木曜日に仕事を終えた後 23:03 Milano Lambrate 発、翌朝Gare de Lyon着、帰りはその逆で月曜日の早朝にミラノ着でそのまま出勤

*12:しかしもし、エルノの親族とばったり会ったりしたら、ちょっとどうしたらいいかわからなかったかも……

*13:1989年に中国からフランスに移住した人の話を、これまでたくさん聞きました。この兄妹の事情は聞かなかったけど……

*14:ネグレスヴェルトはいまもときどき突発的に活動しています。次にもしパリに行くことがあったら、お墓だけでなく生きた彼らを見ようと思います

死者の日2023 en メキシコ④ 〜 メキシコシティ

コロナ明け初の海外旅行はメキシコへ。

3泊6日の3日目、最終日です。

 

中央郵便局 Palacio Postal

早朝5:00頃にメキシコシティのバスターミナルTAPOに到着。

メトロバスにて宿へ。4号線で乗り換えなしで便利〜。

24時間チェックイン可能のドミトリーで、シャワー浴びて荷物を整理して夜まで荷物を預かってもらうという段取りです。

宿に向かう際、世界一美しい郵便局の前を通る。門も美しいです。

Palacio Postal


シャワー&休息のあと、宿近くのチュロス屋さんで朝ごはんを食べて再び郵便局へ。

というのも今日は土曜日。中央郵便局の営業時間に諸説あり、google mapでは8:00〜12:00となっていたため、まず一番に行くのが安全と考えました。

9:00過ぎくらいに行くと営業していたけど、警備員さんによると、あの美しいロビーの見学は10:00〜16:00とのこと。

そこでいったんお買い物に行き、12:00頃に戻って、無事見学と日本への絵葉書を出しました(12/1現在未達)。

Palacio Postalのロビー

ちなみに昨今、景勝地などでも絵葉書が売っているとは限らないですが、郵便局の前には絵葉書を売る屋台が出ていました。

 

CINSAのホーロー鍋

郵便局からメトロバスでメルセー市場方面へ。

ずっと欲しかったCINSAのホーロー鍋を買いに行きます。

uchiyamahiromi.com

こちらで紹介されている安いお店に向かうはずが、なぜかバス車内で道を聞かれ(?)、いや、私は何も(言葉すら)わからないです、的な対応をしているうちに乗り過ごしてしまう。

慌ててバスを降りて引き返す道中にもCINSAを置いているお店がたくさんあって、リサーチ。まさに欲しかったサイズのミルクパンを発見。

ところが、結局このサイズのお鍋は最初に入ったお店にしかなくて、引き返すことに。もしバスを乗り過ごさなければ、私はこのミルクパンを手に入れられなかったってことでは!

展示品はホーローが一部剥げているところがあって、倉庫から6個入りの箱を出してもらって全品検品。

伝票を渡されて奥の窓口でお金を払ってハンコを押してもらって、棚に戻って商品を受け取る。

この一連の流れ、昔の中国とまったく同じ。そういえば、このようにして北京で買ったホーローの食器類を今も使ってます。*1

 

シウダデラ市場 Mercado de la Ciudadela

オアハカで買えなかったメルカドバッグに心残りがあり、地下鉄でシウダデラ市場へ。

だけど残念ながら、ここでも欲しい柄は無し。縁が無かったんだね。

それより、メルセーからシウダデラに向かう際に乗った地下鉄が途中で止まり、全員降ろされる。駅から地上に上がると異常な数の警官がいて、代替えのバスに乗せられる。上空にはヘリコプター。なんかあったのかな?

これが後のピンチの伏線だったことは、まだ知る由もない……。

 

街の様子がおかしい

郵便局の次は、有名な図書館へ。

それにしても、とにかく街の様子がおかしい。

あちこちにパトカーが止まってて、道路に規制線を張っている。

そうだ、死者の日のパレード!

パレードは14:00〜18:30でソカロが終点

死者の日はもう過ぎたのに、メキシコシティでは本日盛大なパレードが行われる。*2

その交通規制が始まっていて、もしかして午前に地下鉄を途中で降ろされたのもこれ?

けどパレードと地下鉄って、なんか関係ある?

 

あちこちにグラフィティのある街並みを眺めながら図書館に向かう。

この、ソカロより北から図書館のあたり、治安がよろしくないらしく、「できれば行かないように」と色々なところで書かれているのを見たけど、治安が悪いとは具体的にどういうことなんだろ?

スリひったくりはどこの国でもある程度あるとして、道を歩いていて突然撃たれるとか?

けど、街角で奥さんたちが立ち話してたり、小さい子供の手を引いて普通に歩いてたり、っていう極めて日常の風景のなかで、少なくとも私はその「悪さ」を感じることはなかったです。そういう「ニオイ」が無いというか。たまたま運が良かっただけかもしれないけど、、

だけど確かに、エリアによって貧富の差は感じました。

そして、このあたりに住む人たちは今日の死者の日のパレードとは無関係なんだろうな、ということも。

 

ヴァスコンセロス図書館 Biblioteca Vasconcelos

なんと壮観。

エントランスから眺めるだけではなく、図書館カードなどがなくても書架エリアにも入れたので、本を読もうかしら(読めないけど)と思ったのですが……

実は私は高所恐怖症のケがあって、正直かなり無理なダメな種類の構造でした。

やむをえず写真だけ撮って早々に退散。

 

グアダルーペ寺院 Basilica De Guadalupe

さて、図書館の次にどこへ行くか?

今日はちょうど土曜日なので、サンアンヘルの土曜市に行く?

だけど、なんとなくお買い物っていう気分ではない……。ここまでですでに、欲しいものはすべて手に入れてしまっていますからね。それも会心の実用品を。

そこで、反対の北方面に向かうことにする。

地下鉄の駅のルチャリブレ

今回、東京での乗り継ぎ時に立ち寄った銀座のお店にて、たまたま見た海外のメキシコ本で、すごく不思議なビジュアルの寺院が紹介されていて、とっても気になったのです。

右側の旧聖堂が、歪んでるように見えますが、実際に歪んでいます。(この画像ほどではないけど……)

新聖堂がモダンでおしゃれ!

中も荘厳かつエレガント。これまでいろんな国で見た寺院の中で一番おしゃれかも。

ここでも結婚式でした。いまは乾季で、ベストシーズンなんでしょうね。

 

暑かったので、寺院でゆっくりして、さあ次はどうしようかな……

今回、オアハカでの計画を立てるので精一杯で、メキシコシティについては、あまり気が乗らないというか、しっかり調べていませんでした。

残念だったのは、ぐずぐずしていてバラガン建築の予約が取れなかったこと。

sakailog.com

このなかでも特にヒラルディ邸が見たいと思いメールすると、日時の提案はいくつかいただけたけど、私の滞在日程には合わなかったです。

ヒラルディ邸は予約が取りやすいとの記述も見たのですが、やはり遅くとも2ヶ月くらい前にはコンタクトを取るのがよいのではと思います。

 

死者の日パレード

Walmart で職場用のお土産などを購入し、ソカロ方面に帰ることに。

というのも、宿のWhatsAppグループが騒がしくなってきて、曰く「前の道路が封鎖されていて宿から出られない」と。宿は決してパレードのルート上にあるわけじゃないんだけど……

ともかく、パレードは18:30に終点のソカロとのことなので、いまから向かってちょっと見れるかな〜

なんて、これは激しく考えが甘かったです。

ソカロ周辺に着くも、人が多すぎて近寄れず、なんも見えない……

宿に帰るには、本来ソカロを横切って行くのが近道ですが、まったく無理やし。

迂回してもしてもなかなか辿り着けず、ようやく宿まであと少し、というところまで来て、パレードに道を阻まれる。

このとき19:00頃。パレードの全容がわからない……

なにか情報を得るべく検索していて、2018年の在メキシコ日本国大使館による注意喚起を見つける。

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私はまさにこの、5月5日通りを渡れずに足止めとなっているのです。

帰国便は0:50発で、0:05までに空港に着いて荷物を預ければいいので、なんとかなるとは思うけど、交通はいつ復旧するんだろ、、

旅のフィナーレに相応しい盛り上がり。ゴージャスなパレードの列は永遠に続くかのようで、こっちは気もそぞろですけども。

20:30くらいに、消防隊、医療従事者、そして街の清掃員の列がやってきて、歓声も最高潮。これが最後尾でパレードは突然終わり、張り巡らされていた柵があっという間に取り払われ、群衆もバラバラと解散。

私もホッ。日本に帰れる〜

 

市内から空港へ

宿で荷物を受け取り、帰途へ。

まずは当初の予定通り、メトロバス4号線の停留所に向かう。

道路は嘘のようにガランとしてて、そろそろ市内交通も復旧してんのかな?

一応 Google mapを見ると、TAPO 方面のメトロバスは3分後に来ることになってますが、いくら私でも、もうこれには惑わされないです……

バス停にお母さん、息子、おばあちゃんの3人家族がいて、私もその列に加わる。3分待ってももちろんバスは来なくて、そのままずっと待ってるうちに家族がソワソワしはじめたので、「メトロバスは運行しているんですか?」とアプリで話しかけてみると、「私たちもわからない……」という返答。

お母さんに「あなたはどこから来たの?」と聞かれ、日本ですと答えるとすごくびっくりされて、やだ言葉が通じないわ、おばあちゃん日本語できないの?となぜかおばあちゃんを前面に押し出してきたのがすごい面白かった。

おばあちゃんは「私もわかんないよ」などと言いながら*3、通じないのお構いなしにスペイン語で大量に話しかけてくる。

そのうえ、私はいまからメトロバスで空港に行って日本に帰るんだけどと言うと、家族はもっとびっくりして、「このバスで日本には行けないわよ」的なことを言われて絶望的な気分に。*4

バス停前で4人でオロオロしていると、通りかかったおっさんに、いきなり「バスなんて来るわけないじゃん、バカなの?」と笑われる。*5

お母さんが、「でも空港に行かなくちゃいけないのよ」と訴えて、なんか人が集まってきて、みんなでスマホを突き合わせて相談してる。

そういう私は、Uberを起動して車の様子を見ていたのですが、いつのまにか登場した男性が私にアプリを見せて、「この2ブロック先に地下鉄の駅があります」と教えてくれた。(実は知ってた)

その駅に向かわなければいけない雰囲気になったので、その場の皆さんにお礼を言って、言われた方向に向かう。

私はこのとき、持参した米ドル分をほぼ使い果たしていて、あとは交通ICカードにチャージした分を使い切ればキレイだなと思っていたので、できるだけ公共交通で空港に行きたかったのは確か。

でも地下鉄はイヤ……。だってキャリーケース持って階段を降りたり登ったりするのしんどいから。*6

頑張って地下鉄駅に着くと、更なる悲運が。駅に降りる階段前にいた駅職員?警備員?に止められる。「地下鉄は今日はありません」。でも予感はしてました。

今度はこの方が、運行している路線を乗り継いで空港に行く方法を教えてくれようとする。ぜんぜんわからなかったけど。

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けど、なんで地下鉄まで止まるんだろう、祇園祭でも地下鉄どころか市バスだって迂回しながらも運行してるのに。あのソカロ周辺を埋め尽くしてた大観衆は、みんなどこへ消えてしまったの?どうやって家に帰るの?

そう考えると、車の取り合いになったらどうしようと、オアハカで車が見つからずタイムアウトになった記憶が蘇る。

一刻も早く配車依頼したくなったけど、一生懸命教えてくれた職員さんの手前、その方向に向かう。職員さんが見えなくなったあたりで配車依頼。

あっという間に空港に到着。これでもう安心。

 

余談

帰国便に乗ってすぐ、寝てしまいました。もうクタクタです。

だけど小一時間たったあたりで軽食の気配を感じて目が覚める。なんだかんだで夕食を取ってなかったので(ランチのエンチラーダが重すぎたっていうのもある)。

隣の席は上海に帰る中国人で、メキシコへは出張だったそう。中国からメキシコへは直行便がなく、上海ー成田ーメキシコシティ路線が便利なんだそうです。

「日本はいま何時?上海とほぼ同じ、夕方だよね、だからまだ寝ちゃだめだよ」

私は中国語歴が長く、このブログに書いた内容程度なら不自由なく話せるのですが、外国語で話が弾むって、なんて楽しくて嬉しいことなんだろうと、改めて感じました。

盛り上がりすぎて、CAさんから「おやすみの方が多いので、もう少しお静かに」と注意を受けてしまうほど。彼は「まだ寝ない方がいいのに」って言ってたけど。

なので、次の機会がいつなのかはわからないけど、いまもスペイン語の勉強は細々と続けてます。

上空から見たロサンゼルスの夜景

 

*1:もしかして無類のホーロー好きなのか私

*2:死者の日の前後どちらかの土曜日らしい

*3:でも「コンニチワ」とか言われたような。腕に覚えがあるのは事実なのか?

*4:中学生くらいの息子も英語がまったくできず、しっかりしろよ!と思えてきた。これまで英語の通じない国で、学生さんや子供に助けてもらうという場面が何度もあって、この国の未来は明るいんだろうなぁと思ったものですが、メキシコ大丈夫か?

*5:こういうのは未知の言語でもなぜかわかる

*6:日本、特に大阪の駅はほんと優秀