meiguiyouxiangのひとり旅

会社員が、週末+少しの年休で旅行しています。たいていひとり旅です。

シェインを追いかけてアイルランド(4)ポーグスのこと

2023年のシェインの葬儀当日、BBCはじめ英国のテレビがダブリンやニーナーから中継してるのを見てまず思ったのは、訃報ならともかく、「本日アイルランドで葬儀が執り行われます」と報じられるほどの知名度だったんだ!ということでした。

ポーグスを長年聴いていると客観的なところがわからないので、ChatGPTに聞いてみました。

ポーグス(The Pogues)の知名度は、地域や年代によって大きく異なりますが、特に1980年代から1990年代にかけてのイギリス、アイルランドアメリカなどのパンクやフォークロックシーンでは非常に高いです。彼らの音楽はアイリッシュ・トラディショナル音楽とパンクロックを融合させたユニークなスタイルで、多くのファンに支持されています。


代表曲「Fairytale of New York」

特にクリスマスソング「Fairytale of New York」は、毎年ホリデーシーズンになるとイギリスやアイルランドで広く流れ、定番の名曲とされています。この曲を通じて、彼らを知る人も多いです。


世界的な知名度

• ヨーロッパでは、イギリスやアイルランドを中心に広いファン層がいます。特にアイルランド系移民の文化が根強い地域で人気です。

アメリカでは、カルト的な人気を持ち、一部のパンク・フォークファンに熱狂的に支持されていますが、主流ポップカルチャーに比べると知名度はやや限定的です。

• 日本では、熱心な音楽ファンの間で名前が知られていますが、一般的な知名度は低い方です。


ポーグスは、音楽史において特定のジャンルや時代の象徴的なバンドとして、今でも多くの人に愛されています。特にアイリッシュ音楽やパンクに興味がある人々の間では不動の存在と言えます。

この説明は自分の体感に近いけど、日本でも、さほどレアではないと思う。フォロワーと言えるようなアイリッシュパンクバンドも多いし。

なぜなら、ポーグスは英国のバンドで、英語で歌っていて、レコ屋の「ロック/ポップス」にカテゴライズされているからです。「ワールド」や「フォーク/トラディショナル」ではなく。これはとても大きいです。*1

そういう意味で、シェインの棺がアイルランド国旗で包まれているのを見たときも、非常に違和感がありました。

2020年の映画『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』を見て、シェインのアイルランドへの想いを初めて知ったのと同時に、英国でのポーグスが始まるまでのエピソードも興味深くて、この映画を見た直後は、何十年ぶりかでロンドンに遊びに行きたいな〜とすら思ったので。

ポーグス、というかシェインは、真の異端なんだと思います。

アイルランドでは英国のパンクバンドで、英国では"paddy"。

The commitments *2の有名なセリフ「The Irish are the Blacks of Europe.」*3 を思い出します。

彼らは文字通りソウル音楽をやったけど、シェインはオリジナルな音楽を作った。たぶん私は、そういうところに憧れているのです。

 

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テンプルバーのレコードショップ。ダブリンは私がこれまで行った中で一番レコ屋の多い街でした。

 

ポーグスのライブを一度だけ見たことがあります。

1991年 心斎橋クラブクアトロ

シェインはフラフラで、冒頭数曲歌ったあとはずっと、マイクスタンドの傍に三角座りしてしてました。

それを野次ったお客とスパイダーがちょっとした口論になって、それが憂歌団のライブみたいなのとはぜんぜん違って、雰囲気がとても悪くなって……。

このライブの直後にシェインはポーグスを追い出され、私が見たあれが、シェインがポーグスで歌った(ほとんど歌ってなかったけど)最後のライブになった。

いま映像で見る全盛期の感じはリアルタイムには体験できなかった。それより、ずっとCDで聴いてた大好きなバンドをやっと見たらあんなだった、っていうちょっとした喪失感をいまも持ち続けている。私はポーグスの終焉を見届けたんだと考えればいいかな?

 

と、長年ずっと思っていたけど、トリニティカレッジ近くのタワレコのポーグスのコーナーにこんなライブ盤が。

ANNIVERSARY OF SHANE MacGOWAN’S LAST SHOW WITH THE POGUES

londoncelticpunks.wordpress.com


1991年8月30日、横浜開催のWOMAD に出演した、これが最後だと。

時系列を整理してみよう。

『世界が愛する厄介者のうた』にて、

 日本で酔っ払って車から転げ落ちて意識不明になった。

 目を覚ましたらみんなが待ち構えていてクビを宣告された。

とシェイン本人が語っている。

この事故は、日本公演中のいつなのか?

 

こちらによると、大阪公演は2日あって、1日目はシェインは出演せず、私が見たのは2日目のようだ。

だけど私はあの日、「やっぱりこの声」というほどシェインの声を聴いた記憶が無いかも、、

 

大阪公演1日目に行った方によると、「怪我のため」と発表があったみたい。

nyoko-diary.jugem.jp

よく見るとこの方は、投稿日をライブの日付にされているようで、大阪公演は91年9月2,3日。

当時ブログなんてなかったはずなので、紙の日記などを転記されているんでしょうか?これはとても貴重です。

 

またこの投稿によると、クラブチッタ川崎にも出演していない。

eiga.com

ジョーストラマーが急遽代役に立ったというのは、当時ミュージックマガジンか何かでびっくりニュースとして読んだ記憶がある。

つまり

 8.30 横浜WOMAD  出演

  ー事故?ー

 9.2 心斎橋クアトロ (意識不明により?)休

 9.3 心斎橋クアトロ (意識朦朧状態で?)出演

川崎公演の日付や日数がわからないけど、大阪1日目を意識不明でスキップした時点でクビ、けどそのまま放棄というわけにもいかず2日目はなんとか出演したものの、日本最終の川崎はもう無理で、ジョーストラマーが一肌脱いだ。そしたら「これでやっていけるんじゃね?」となり、そのまま米国ツアーへ、という流れが自然?*4

つまり、やはり私は最後を見届けたと自信を持っていい?

 

いつ頃だったか、パリのメトロで再結成ポーグスのライブ告知の超大型ポスターを見たことがあって、思ったことはやはり「ここにシェインはいるのかな?」だった。

結局何度か来日もしているけど、私は見に行かなかった。だから2020年の映画で見るまで、その後のシェインの様子は知らなかった。

 

上述の横浜WOMADは映像も公開されているけど、いたたまれなくて直視できない。

他に「Streams of Whiskey: Live in Leysin, Switzerland 1991」という同年7月収録のライブ盤があって、こちらは遥かに歌えているので、この1ヶ月の間に一気に衰弱してしまった?

でもボーカルがダメな分、演奏は凄くて、やっぱりもったいない。

私の記憶のラストライブでは、スパイダーがめちゃくちゃイラついていて、笛をブンブン振り回して大量の唾が飛び散っていたのが印象に残っている。

だからシェインの葬儀で、スパイダーがブリキのお盆の贈り物をしているのを見て、クスッと笑えて、なんだかホッとして、そうだ!ここに行こう!と思えたのだった。

 

*1:私は非英語圏のロックに関心がありますが、長らくここに疑問を感じていました。

例えば中国にも好きなバンドが数々ありますが、CD店ではジャンルに関わらずすべて「中国」にカテゴライズされていました。これでは、普段英米のロックを聴く人が、偶然アプローチすることは起こりえません。

しかし近年は配信が主流になっており、レコメンドシステムにより、これまでなかった広がりが期待できそうです。また中国ではかつて海賊盤が横行しており、アーティストがCDから収益を得ることが難しい側面がありましたが、これも解決です。

*2:ロディドイルの小説およびアランパーカーの映画。アイルランドというと、私は『ダブリン市民』よりもこっち。

*3: “The Irish are the blacks of Europe. And Dubliners are the blacks of Ireland. And the Northside Dubliners are the blacks of Dublin. So say it once, say it loud: I'm black and I'm proud.” いろんな意味で、今日こんなセリフは書けないし発表できないでしょうね。

*4:この順でないと大阪1日目のお客が不憫すぎる