meiguiyouxiangのひとり旅

会社員が、週末+少しの年休で旅行しています。たいていひとり旅です。

厦門〜土楼〜コロンス島 [中国語のこと]

中国の言語、方言は本当に多彩ですが、華南地方は特に複雑です。

今回行ったところでは、大きく言って、閩南話か客家話が話されていました。

もちろん普通話(北京語)も問題なく通じます。

厦門市内でも、年配の方が話す普通話は、やはり訛っていましたが、永定県下洋鎮の初溪小学校の子供たちは、ほとんど訛りのない標準的な普通話を話していました。

初溪村で泊まった土楼には、私以外にもう一組の旅行者が泊まっていて、普通話や英語で話しているのが聞こえたのですが、土楼の老板によると彼らはシンガポール華人で、祖父の代にシンガポールに移住したそうで、普通話と広東客家話を話すとのことでした。わざわざ広東客家話と呼ぶくらいですから、福建客家話もあるに違いありません。

コロンス島で泊まった宿の女の子が話す普通話は、やや台湾国語風でした。軽声になるところもしっかりと声調が付いているとか、文末に北方ではあまり聞かないような語気詞がやたらついてたりとか。

テレビドラマ『流星花園』が流行った頃から、北京あたりでもこんな話し方の若い人が一気に増えた気がします。

 

土楼の老板と、

「家では客家話で話しているんですよね?」

「そうだ」

といった話をしていて、何気なく

客家話でニーハオはなんて言うんですか?」

と聞いたところ、これが大変な愚問でした。

 老「客家話にニーハオなんか無い、そんな他人行儀な言葉。人と会ったら相手の名を呼ぶんだ、例えば君と会ったら、「やあ、めいべい」 それだけだよ」

 私「じゃあ、名前を知らない、初めて会った人だったら?」

 老「名前も知らない人?それは一体どういうシチュエーションなんだ? まあでも、「やあ、おじいさん」「やあ、お嬢さん」「やあ、小さいお友達」そんな感じだよ。とにかくニーハオなんて、そんな挨拶を交わすことは無いね」

この説明を聞いて、なるほど方言というのは、そのコミュニティの中で話すものである、と改めて思いました。

 

アモイ島からコロンス島へ行くフェリー乗り場の待合室は、中国全土から集まった人々でひしめきあっていました。

団体客やチケットを予約している用意周到な旅人たちは、20分おきに出るフェリーに次々と乗り込んで行き、私を含む行き当たりばったりな旅人たちは、窓口の長蛇の列に並んで数時間後のチケットを買い、長椅子や床にぎゅうぎゅうに座ってひたすら待ち続けるのです。

私の隣には派手目のギャル(死語)2人、そして私たちの前には明らかに田舎からやってきた、大きなスーツケースを持った母息子の2人が床に新聞紙を敷いて座っていました。

彼らが話しているのがなんとなく聞こえて、私とギャルは約2時間後、母息子は1時間半後のチケットを持っているようでした。

  息子「え?いまから行って、夜に帰るの?コロンス島はすごく楽しいところなのに、そんな短い時間じゃ何も見れないんじゃないの?」

 ギャル「そんな、わざわざ泊まるほどじゃあ……」

  息子「学生なの?」

 ギャル「働いてるわよ」

  息子「へ~若く見えるね」

母息子は田舎から来たのだろうと、なぜ私が思ったかというと、この2人が話す普通話が、訛っているだけでなく、ものすごくたどたどしかったからです。

ここ厦門の人たちだって、もちろん訛っているわけですが、私はこれまでどこの地方でも、こんな普通話を話す中国人を見たことがなく、明らかに学校で習った普通話を、ここぞと一生懸命話しているようなたどたどしさだったのです。

ギャルもときどき「え?何?」「なんて言ってるかわからない」なんて何度も聞き返したりするくらい。

留学時代、私たち日本人は、いつも不思議に思っていました。

このおっさんはこんなに訛っているのに、通じている。なのに私が話す普通話はなぜ通じないのか?

その答えを、いま見つけた気がしました。

彼らはきっと、その地方特有の訛りの中で通じ合っていただけなのです。

現在、誰もが気軽に長距離を旅行するようになり、遠く離れた地方の、従来では接触し得なかったグループの人と人が交流するとき、彼らもまた、共通語である普通話にてコミュニケーションをとっていて、ときには通じなかったりしていたのでした。このギャルと母息子のように。

中国現代的文学の父、魯迅は次のように述べています。

 

其实,文言和白话的优劣的讨论,本该早已过去了,但中国是总不肯早早解决的,到现在还有许多无谓的议论。例如,有的说:古文各省人都能懂,白话就各处不同,反而不能互相了解了。殊不知这只要教育普及和交通发达就好,那时就人人都能懂较为易解的白话文(《无声的中国》)

 

実は、文語と口語のどちらが優れているかという議論は、もうとっくの昔にすんでいるはずであります、だが中国ではとにかく手っ取り早く解決するというのはどうしても承知しないので、今でもまだいわれのない議論がいろいろ行われています。たとえば、文語ならどこの省の人でもみな分かるが、口語は土地によって違うのだから、かえってお互いに理解し合うことができない、という人がいます。ところがこれは、教育が普及し、交通が発達しさえすればよいのであって、その時になったら、人々はみな比較的分かりやすい口語文を理解することができます。(『声なき中国』増田渉訳)

 

これは1927年に香港で行なった講演を、厦門に滞在中に書き起こしたものですが、この文から約90年後、厦門のフェリーターミナルで、私はまさにこの口語文による交流が行われる時代が到来した現場を見たのでした。